パステウは世界大戦で迫害された日本人が広めた料理

ブラジル料理

ブラジルの軽食として人気のあるパステウ(pastel)。

日本で開催される「フェスタ・ド・ブラジル」でも「ブラジル料理」として販売され人気のあるこの軽食は、第二次世界大戦下において迫害を受けた日本人移民がブラジルに広めたものだと言われています。

この記事では、誰でも知っている「パステウ」のあまり知られていない歴史をご紹介します。

パステウ(pastel)とは何か

パステウは、小麦粉で作られたパイ生地に、チーズ、ハム、ひき肉などを詰めて油で揚げた食品です。手軽な軽食として、ブラジル全土で愛されています。

ビーチ沿いでは、エビやロブスター入りのパステウ、アマゾン地域では、ピラルク入りのパステウなどご当地のパステウもあるのが楽しいです。

パステウと相性が良いことから、さとうきびジュースと一緒に販売されることも多いです。

ブラジルを語る上で外すことのできない存在、サトウキビ

パステウは東洋由来の食べ物?

パステウの起源については、正確な記録が残っておらず定かではありません。

一般的には、中国の春巻、餃子に由来すると説明されています。

19世紀末頃、中国や日本からの移民がブラジルで春巻や餃子を販売したのが、パステウの歴史の始まりと考えられています。その後、生地を巻かずに一回折りたたんだだけの状態のシンプルなバージョンが考案され、パステウになったと考えられます。

ちなみに、ポルトガル料理のえびのパイ包みがブラジルでパステウになったとする説もあります。ヨーロッパにも生地にひき肉などを包んだラビオリというパスタがありますので、ありえなくはないかと思います。

日本人移民が普及させたパステウ

このように、パステウのルーツは定かではないのですが、これをブラジルに普及したきっかけは、第二次世界大戦にあるというのは確かなようです。

第二次世界大戦において、ブラジルは連合国側でしたので、枢軸国側である日本と敵対する関係になりました。このため、大戦中、ブラジルに住む日本人移民はブラジル人から迫害を受けました。

幸いブラジル人は中国人と日本人の違いに無頓着だったため(今でも!)、一部の日系人はブラジル人からの迫害を逃れるために中国風の看板を出し、中国人を装ってパステウを販売するようになりました。

日本人移民の多く住んでいたサンパウロを皮切りに、パステウ専門店(パステラリア)が次々と出店され、その後、リオデジャネイロ、ベロオリゾンチ、内陸部へと普及していきました。

「春巻き」や「餃子」は未だに中華料理屋などで「オリエンタル料理」として供されていますが、パステウに関しては「オリエンタル」の要素はなくなり、完全に「ブラジル料理」の地位を獲得しています。

6年弱ブラジルに住んだ筆者も、パステウの歴史を調べるまではその普及に日本人移民が関わっていたことを知りませんでした。

パステウの皮の意外な使い道

筆者は、ペルナンブーコ州の奥地に住んでいました。サンパウロと比べると日本食は手に入りにくい環境でしたので、パステウの皮を使って餃子を作っていました。

一般的な餃子の皮と異なり生地が厚いので、少し食べただけで腹が膨れるという違いはあったものの、味は日本で食べる餃子と一緒だったと思います。

ブラジルにある材料でギョーザの皮を手作り

余談ながら、一般的なパステウの生地には酒ではなく「ピンガ」が練りこまれています。

パステウの名前の由来は?

Pastelという名前はイタリア語の「pastello」、すなわち、「ペースト状にされた材料」や日本人にもなじみの深い「パスタ」に由来します。

ポルトガルにおいては、Pastel de belem又はPastel de Nataというデザートで有名です。



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