ペルナンブーコ州の州都レシフェから車で30分ほど走るとオリンダというユネスコの世界遺産に登録された町があります。オリンダに訪れるなら最低限知っておきたい歴史をまとめてみました。
オリンダの誕生
1534年にポルトガル人が世襲カピタニア制を導入すると、ペルナンブーコはドゥアルテ・コエーリョ卿(Duarte Coelho)により統治されるようになりました。
*カピタニア制とは、カピタン(領主)が領地を支配する定住型の植民様式を指します。
その際に戦略的に拠点を構えるのに最適と考えられた小高い丘が後のオリンダになりました。
ドゥアルテ・コエーリョが本国ポルトガルの王ジョアン三世に向けて土地支配の特許状を送ったのが1537年3月12日だったことから、この日がオリンダ誕生の日として今でもオリンダ市では3月12日が祝日となっています。

ドゥアルテ・コエーリョ
オリンダの名前の由来
オリンダという名前はドゥアルテ・コエーリョが、
“Ó linda situação para se construir uma vila”
(町を建設するのにはとても見事な条件だな。)
と言ったところからとったとされています。
(Lindaはポルトガル語で見事な、美しいという意味)
オランダによる占領と火事
その後ブラジルの木とサトウキビの収穫による経済発展を中心としてオリンダは経済的な重要性を増していきます。
サトウキビの搾汁
1630年2月16日、オランダがオリンダを占領し、ペルナンブーコを支配するようになります。オランダ人はオリンダの直ぐそばにあるレシフェの開発を進め、オリンダを放擲します。オランダ人は、低い土地を好むため、高台にあるオリンダよりも低地のレシフェを好んだのでしょう。1631年11月24日に、オランダはオリンダから貴重な材木を運び出した後、オリンダの町に火をつけて燃やしました。
オリンダが再び再興を開始するのは1654年1月27日にオランダがブラジルから撤退した後でした。
オランダ撤退後
オリンダの経済的な中心地としての役割は1630年にオランダが占領したときに終わりを迎えていました。経済都市としての役割はお隣のレシフェに移って行ったのです。
1827年からは、健康的な理由で都会のレシフェよりも住む場所として向いているという理由で、再び開発が進められるようになりました。
1982年、コロニアル風の建築物が良好に保持されている町としてユネスコの世界遺産に登録されています。
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