カポエイラは「シマウマの求愛」に由来

ブラジル歴史

ブラジルを代表する格闘技「カポエイラ」は、格闘技とダンス、パフォーマンス、音楽を融合したもので、ブラジルに連れてこられた黒人奴隷が護身術として使った技術です。ここまでは一般的にも良く知られていることですが、この記事ではよりディープなカポエイラのルーツをご紹介します。

アンゴラのムコペ族による求愛ダンス「ンゴーロ(N’Golo)」

アンゴラ南部のムコペ族(Mucope)は、青年が成人する時に「エフンドゥーラ(Efundula)」と呼ばれる儀式を行う習慣がありました。この儀式はムコペ族の青年が大人になるための通過儀礼でした。

「エフンドゥーラ」では、成人を迎えた2人の青年を囲んで輪をつくりました。中心にいる2人の青年は、メスを奪い合うオスのシマウマよろしく、頭突きや蹴りを繰り出し戦いました。この格闘は、「ンゴーロ(N’Golo)=シマウマの意味」と呼ばれました。

「ンゴーロ」に勝利した青年は結婚適齢期の女性の中から、自分の好きな女性を選ぶ権利を得ることができたのです。

この求愛ダンスともいえる「ンゴーロ」が、ブラジルで「カポエイラ」に発展しましたと言われています。

バイーア州のシャパーダジアマンチーナにて

ブラジルの観光地では、しばしばカポエイラのホーダを見かけます。

ブラジルにおける黒人奴隷の抵抗

16世紀において、砂糖製造の労働力として、アフリカ(特にアンゴラ、コンゴ)から多くの黒人奴隷がブラジルに連れてこられました。彼らの4割近くは、ブラジルに向かう船の中で命を落としており、無事にブラジルに到達した奴隷もポルトガル人によって酷使されました。奴隷にはポルトガル語を話すこと、カトリックへの改宗も強制されました。

このような悲惨な運命に追いやられた黒人奴隷の中には、当然ながら主人に反抗する者がいました。反抗の手段としては、自殺、胎児の堕胎、主人の殺害などがありましたが、なかでも最も一般的な抵抗は主人の目を盗んで逃亡することでした。

奴隷の主人は、逃亡奴隷が発生しないよう監視するしくみ、発生した場合にも捕縛する体制を整備しました。逃亡に失敗し捕縛された奴隷には、見せしめのために厳しい体罰が加えられました。

当時は逃亡奴隷を追跡し捕縛する職業(capitães-do-mato)すら存在していました。

無事に逃げられた奴隷は、「キロンボ」と呼ばれる集落を形成し、農業などに従事し、自由人としての生活を送りました。この「キロンボ」の中でも最大のものが「パルマーレスのキロンボ」でした。詳しくは、こちらの記事をご覧ください。

ブラジル奴隷反抗の象徴「パルマーレス戦争」と英雄ズンビ

2019年11月9日

奴隷が逃亡する際に、追手から身を守るために使われたのが、「ンゴーロ」でした。

「カポエイラ」という名称は、もともと植生を示す言葉だった

「カポエイラ」という名称は、もともと「まばらな茂みのある植生」を意味する用語でした。ブラジル先住民の言葉であるトゥピ=グアラニ語に由来し、「かつての森=ka’a (森) + pûer (かつての)」という意味があります。

農業や牧畜のために森林が伐採ないし焼き払われた後、しばらく放置され植物が自然に再生した場所(as florestas secundárias)のことを「カポエイラ」と呼びます。下の写真が「カポエイラ」です。


Margarete Brandão

茂み(カポエイラ)で襲われた!

自由を求めて逃亡した奴隷は、茂み(カポエイラ)に身を隠して追手の追跡から逃れました。追手に捕縛されそうになると、逃亡奴隷は、「ンゴーロ」で追手を攻撃しました。

奴隷の捕縛に失敗して主人のもとに帰ってきた追手は「奴隷はどうしたんだ?」という主人の問いに対して、「茂み(カポエイラ)で襲われた!」と報告したとか。これが、「カポエイラ」の名前の由来になったと言われています。


サルバドールの旧市街で観光客にカポエイラを披露する男性。体にオイルを塗っており、いかにも強そう。

「ンゴーロ」の禁止と「カポエイラ」の誕生

しばらくすると、奴隷の抵抗手段である「ンゴーロ」は禁止されました。

自衛手段を維持するため、奴隷は「ンゴーロ」に楽器、手拍子、歌を融合し、「ダンスをしている」ように見せかけるようになりました。このようにして、現在に続く「カポエイラ」が誕生したのです。(もともと「ンゴーロ」でも“ベリンバウ”が使用されていました)。

このような歴史的背景もあり、カポエイラは格闘技ではありますが、ほかの格闘技と違って勝敗はありません。また、音楽に合わせて行う格闘技という点は他に類を見ない特徴といえるでしょう。カポエイラの熟練者が奏でるベリンバウという楽器の音楽のリズムによって、技の内容やテンポを変化させます。ベリンバウ奏者は、オーケストラでいう指揮者のような役割を演じるのです。

主に蹴り技で相手を攻撃しますが、相手の身体には基本的には蹴りを当てることはありません。また、カポエイラの演武は、「試合(luta)」というより、「ゲーム(jogo)」と呼ばれ、技を披露しあうことを目的としています。

奴隷制度の廃止とカポエイラの禁止

1888年、ブラジルでも他国に後れを取りながらも奴隷制が廃止されました。最大のキロンボ、パルマーレスの英雄ズンビの死から約2世紀後のことでした。

しかし、奴隷制廃止は必ずしも奴隷を幸福にするものではありませんでした。というのも、奴隷制廃止の後、ブラジル政府は解放奴隷の生計について何ら手当を講じることがなかったからです。解放奴隷には住むところも、働き口もなかった為、社会から見捨てられたような存在になり、元奴隷の浮浪者が都市部などに流入しました。行き場所を失った彼らは、都市部にファベーラを形成するようになります。

ファベーラの起源はカヌードス戦争に由来

2017年8月3日

生活に困った元奴隷の多くは貧困に苦しむようになり、一部の者が反社会的勢力を形成しました。都市部に流入した元奴隷の一部は、カポエイラを使った暴力事件、殺人などを起こすようになり、カポエイラに対する世間のイメージ悪化を招きました。

奴隷制廃止から2年後の1890年、ブラジル全土でカポエイラを禁止する法律が制定されました。カポエイラを行うものは現行犯逮捕されるだけではなく、拷問を課せられました。そんな中でも、カポエイリスタは警察の目を盗んで、人目のつかない場所で監視役を立てカポエイラを行っていました。

メストリ・ビンバによるカポエイラの体系化と現代化

カポエイラが御法度になってから四半世紀ほど経過し、カポエイラ=野蛮で危険というイメージも少しずつ薄れていました。

そのような状況の中、1932年にカポエイリスタのメストリ・ビンバ(mestre Bimba)は、カポエイラが観光客向けのパフォーマンスに変容し、もともとの格闘技という性質を失いつつあることを危惧し、サルバドールに史上初めてカポエイラのジムを創設しました。


Manuel Nasciemento Machado

メストリ・ビンバは、アフロ・ブラジリアン宗教の「バトゥッキ(batuque)」で行う踊りや空手などの東洋武術の要素を取り入れ、カポエイラの格闘技としての要素を高めました。

ゆっくりとした動きで行われる伝統的なカポエイラと異なり、素早い攻撃と反撃で技を応酬します。また、低い位置で攻撃をする伝統的なカポエイラと異なり、高い位置で蹴ることが多いのも特徴的です。アクロバティックな動きは少なく、体の一部が常に地面に設置していることを基本とします。

カポエイラの体系化も進められました。メストリ・ビンバは、シントゥーラ・ディスプレザーダ(cintura disprezada)と呼ばれる練習用の組手も考案しました。また、腰に巻いた紐の色でカポエイリスタの習熟度を区別する階級制度も導入しました。

当時カポエイラはまだ禁止されていたので、メストリ・ビンバは、この格闘技を「バイーア地方の武術(ルタ・ヘジオナウ・バイアーナ)」と呼びました。その後、彼の考案したカポエイラは「エスチーロ・ヘジオナウ(estilo regional)」と呼ばれるようになります。

カポエイラ禁止令の撤廃

1937年、メストリ・ビンバの取り組みは社会的にも受容され、サルバドール当局の支援を受け、「地方武術文化センター(o centro de Cultura Física e Luta Regional)」を開設し、経済界のエリート、政治家、軍関係者などにカポエイラを教えるまでに至りました。

1940年には、カポエイラを禁止する法令が撤廃され、社会の隅に追いやられていたカポエイラがようやく日の目を見るようになりました。

伝統的カポエイラの中興の祖、パスチーニャ

メストリ・ビンバにより考案された“新しい”カポエイラが日の目を浴びた一方、伝統的なカポエイラの評価は引き続き低いままでした。

伝統的なカポエイラを行う人々の中には、メストリ・ビンバにより考案されたカポエイラは「伝統を破壊するもの」として反発する者もいました。そんなカポエイリスタたちの師として仰がれたのが、メストリ・パスチーニャ(mestre Pastinha)でした。

1941年、メストリ・パスチーニャはサルバドールの旧市街ペロウリーニョ(Pelourinho)に「カポエイラ・アンゴーラ・スポーツ・センター」を創設しました。彼らが行った伝統的なスタイルは「カポエイラ・アンゴーラ」と呼ばれるようになりました。

カポエイラ・アンゴーラは、「エスチーロ・ヘジオナウ」と比較すると、ゆっくりとした動きで、腰より高い位置を攻撃することは無く、表情や演技力も重視されます。「ンゴーロ」がシマウマの舞いであったように、動物の動きを真似た攻撃もあります。

野蛮な格闘技から「ブラジリダージ」への変容

ビンバ師やパスチーリャ師の努力の甲斐もあり、また、時代の変化も手伝い、かつて野蛮なものと見なされていたカポエイラは、その後、ブラジルを象徴する文化のひとつとして、一転してブラジルのアイデンティティを表すものに変容しました。

70年代以降、カポエイラは北米やヨーロッパで普及し、現在では世界72か国に538団体が活動しています(2019年3月時点)。

2014年、カポエイラはブラジルの植民地時代、帝国主義下におけるアフリカ系ブラジル人による奴隷制への反抗を象徴するものとして、UNESCOの無形文化遺産として登録されています。



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