ブラジルを代表する炭酸飲料「ガラナ」は、南米アマゾン地帯に生える植物「ガラナ(Guaraná)」を原料とする飲み物です。スローガンは「私たちのモノ(É Coisa Nossa)」で、ブラジルではコーラの次に人気のある清涼飲料として愛されています。
この記事では、ガラナ(植物)の概要、伝統的な服用方法、炭酸飲料誕生の経緯についてご紹介します。
ガラナの概要
ガラナはカフェインの含有量がコーヒーよりも多く、精神の高揚、疲労軽減、血流の促進効果があるとされ、古くからブラジル先住民によって服用されていました。
血流をよくすることから精力増強の効果もあると考えられ、「天然バイアグラ(Viagra Natural)」と呼ばれることもあります。
その果実は赤く、熟すと白い果肉と黒い種が飛び出し、目玉のように見えます。古くはブラジル先住民のマウエー族によって、栽培・消費されていました。
ガラナの果実(junkojiさんによる写真ACからの写真)
ガラナ(Guaraná)という名前は先住民のトゥピ・グアラニ語の「varana」に由来し、「ほかの木に支えられて育つ木」という意味があります。その名の通り、アマゾンの森林内で育てると、ほかの木と共生し平地で育てるよりも背が高くなるそうです。
ガラナにまつわる言い伝え
ブラジルでは、先住民が残した様々な言い伝えがありますが、ガラナの誕生についても次のような言い伝えがあります。
ブラジル先住民のマウエー族に、長い間子宝に恵まれない夫婦がいました。夫婦は子供を授けてもらえるよう最高神トゥパン(Tupã)に祈り続けました。夫婦の願いを聞いたトゥパンは、夫婦に珠のような男の子を授けました。
男の子はすくすくと育ち、皆から好かれるよい子供に育ちました。これを見た闇の神ジュルパリ(Jurupari)は、その幸福に虫唾が走るような嫉妬心を抱くようになりました。
ある日、少年が森で木の実を収穫しているときに、ジュルパリは毒蛇に変身して、少年を殺してしまいました。
この悲しい知らせは瞬く間に広まり、空には雷鳴がとどろき、稲妻が集落に落ちました。嘆き悲しむ母親が、少年の両眼を大地に埋めたところ、そこから植物が生えてきて、人間の目のような果実を実らせました。
ガラナの服用方法
ここでは、古くからガラナを服用していた「マウエー族」の伝統的な服用方法をご紹介します。
まず、ガラナの赤い果実を収穫し、黒い種子の部分を取り出します。種子をよく洗い「目ヤニ」を落とした後、乾燥させて低温でじっくりと焙煎します。焙煎した種子は袋の中で粉砕し、その後、水を適量加えてすりつぶします。
十分に練りこんだガラナのパテを棒状(bastão)にした後、2ヵ月間かけて燻製にします。
出来上がったガラナの棒を「ピラルクの舌」ですりおろし、水に溶かして飲用します。「世界最大級の淡水魚」といわれるピラルクの舌には、いくつもの突起があり、おろし金のようになっています。
開高健の名著『オーパ!』では、開高健の案内役として旅に参加していた醍醐麻沙夫氏がこの点について紹介しています。
別れしなに醍醐君はまッ黒のソーセージのような固い棒を一本とりだし、これはガラナの実をつぶして固めたもので強精剤ですけど、ピラルクの舌でこすると粉になりますといった。そしてピラルクの舌の干したのをとりだしたが、これは白くて固くて、小さな無数の歯とも凸起ともいえるものが表面に生え、オロシ金として立派に使えるものであった。
炭酸飲料ガラナの誕生
ガラナが商業的に利用されるきっかけとなったのは、1905年、リオデジャネイロのルイス・ペヘイラ医師によって、医薬品としてのガラナ・シロップが生産されたことに端を発します。この点、炭酸飲料ガラナのライバル、コカ・コーラがもともと医薬品だったのと似たような歴史がありますね。
ペヘイラ医師の試みをきっかけとして、サンパウロのアンタークティカ社が飲みやすいガラナの商品開発を進め、1921年に「Guaraná Champagne Antarctica」を発売し、人気を博しました。
「コカ・コーラ」がブラジルにやって来たのは1941年のことなので、それまでの20年間は強力なライバルもおらず、ガラナはブラジルにおける認知度を高めることができました。
ブラジルでのコカ・コーラ発売後も、ガラナの根強い人気は衰えることなく、今日まで市場におけるプレゼンスを維持しています。
ガラナ飲料の発売が後20年遅かったら、現在のように消費者に根付くことはなかったかもしれません。
ガラナ飲料は健康によい?
WHOは1日の砂糖摂取量の目安を砂糖25gまでと推奨していますが、ガラナ・アンタークティカ350ml缶に含まれる砂糖の量は36gで、ガラナ1缶で1日分の摂取目安を44%超過することになります。ちなみに、コカ・コーラの砂糖含有量は、37gです。
ガラナ・ドリンクは、“健康に良い”ことを売り文句にした広告を見かけることもありますが、この砂糖の量を考えると、むしろ健康を害する飲料だといえるでしょう。
なぜ北海道だけでガラナが有名なのか
日本ではガラナの認知度は高くないですが、北海道だけは例外です。北海道では「コアップガラナ」を中心として、さまざまなガラナ飲料が販売されており、道民に愛されています。
日本でガラナ飲料が販売されたのは、1961年の貿易自由化に端を発します。
貿易自由化により、アメリカからの“黒船”コカ・コーラが日本市場に輸入され、ラムネやサイダーを販売する日本の中小清涼飲料メーカーが駆逐される危機が迫りました。
黒船襲来を見越して、1960年に「全国清涼飲料協同組合連合会」がコカ・コーラへの対抗馬となる国産清涼飲料を開発しようと立ち上がりました。
この時、ブラジルにおけるガラナ飲料の健闘を参考にし、在ブラジル大使館の協力を得て、国産の清涼飲料「コアップガラナ」を発売したのです。
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北海道だけでガラナが広まった経緯は諸説あるようですが、一説では、北海道は本土よりも黒船の到来が数年遅れたことが幸いしたといわれています。
もし、国産ガラナが後2~3年早く発売されていたならば、日本においてもブラジル同様にガラナの認知度が全国的なものになっていたかもしれないですね。