ブラジルを代表する料理「フェイジョアーダ」は、アフリカ人奴隷によって考案されたという有名な説があります。それはこんな話です。
かつて、サトウキビ栽培の労働力としてアフリカから連れてこられた奴隷が、主人が食べずに捨てた豚の足、耳、しっぽ等を拾って料理したものが、フェイジョアーダの起源で、これがあまりに美味しかったので、国民食として普及した。
ブラジルらしく最もらしい話ではありますが、現代ではこの話は奴隷社会と文化を面白く伝承した都市伝説であると言われています。
フェイジョアーダの「奴隷起源説」を否定する理由
「奴隷起源説」を否定する理由がいくつか挙げられています。
食品廃棄が行われる環境ではなかった
ブラジル食文化の専門家によると、ブラジルの植民時代は、ブラジルにおける食料生産量は乏しく、本国ポルトガルからの輸入品は高額であったため、ブラジルでは慢性的な食糧不足が続いており、当時のブラジルの食卓は現代人の常識から考えると貧しいものだったようです。
豚肉を食べられるのはごく少数の富裕層に限られており、サトウキビ農園などで豚肉が食べられていたとは考えにくいということです。
奴隷の食生活は主人と同じだった?
奴隷にしっかり働いてもらうためには、十分な食事を与える必要があり、奴隷の食生活はイメージするほど悲惨なものではありませんでした。食料事情が質素であったことから、主人も奴隷と似たようなもの(トウモロコシ、マンジョッカ、果実など)を食べていたといいます。
ポルトガル人は「豚の足や耳」を食べていた
ポルトガル人には古くから「豚の足や耳」を調理して食べる習慣があったことが文書で残っています。主人であるポルトガル人が、豚の足等を食べずに捨てたというのは、この点からも考えにくいと言えます。
イスラーム教徒の奴隷は豚肉を食べない?
人類学者のカマラ・カスクード(Câmara Cascudo)は、アフリカ人奴隷の多くがイスラーム教徒であり、食用が禁じられている豚肉を料理の材料に使うことは考えにくい、と指摘しています。
ヨーロッパ起源説
フェイジョアーダの“奴隷起源説”が都市伝説であるとすれば、一体どのような起源からフェイジョアーダが誕生したのでしょうか。
ブラジル先住民にも、アフリカ奴隷にも、豆を肉と一緒に煮込む習慣はなかったので、フェイジョアーダはヨーロッパに起源を有する、と考えられています。ヨーロッパ人は古くはローマ帝国時代から、肉、野菜、豆を煮込む料理を食していました。これが、ポルトガルの郷土料理コジード(cozido)、フランス料理のカスレ(cassoulet)などの起源となり、ブラジルに入植したポルトガル人により持ち込まれました。
ポルトガル料理のコジード(豚の耳なども入っている)
Uxbona
ヨーロッパで生まれ、ブラジルで独自の発展を遂げたフェイジョアーダ
ヨーロッパの調理法に源流を有すると言われるフェイジョアーダですが、フェイジョアーダには、アメリカ大陸原産の「黒豆(feijão preto)」が使用されています。

また、フェイジョアーダには、ブラジル入植者の食事に欠かせない食料であるブラジル原産のマンジョッカから作られるファリーニャの粉がふりかけられます。
「フェイジョアーダ」という料理名が史上初めて使用されたのは、1833年、レシーフェにある高級ホテル「オテル・テアトレ(Hôtel Théatre)」のレストラン・メニューでした。この時は、「ブラジル風フェイジョアーダ(feijoada à brasileira)」と命名されていました。
現在のようにフェイジョアーダが「国民食」として認知され、「ブラジリダージ」の象徴として捉えられるようになったのは、モダニスム運動による国家のアイデンティティ確立の過程で形成されたものであるといわれています。