ブラジルの軽食として人気のあるコッシーニャは、細長い玉ねぎのような形をした鶏肉のコロッケです。
鶏肉のほぐし身と出汁、小麦粉を混ぜて作ったタネを成形し、とき卵と小麦粉をまぶして揚げたものが一般的です。
ポン・デ・ケージョ、フェイジョアーダ、パステウなどに並び、ブラジルを代表する料理として連想する一品の地位を確立しています。
「コッシーニャ」の意味
コッシーニャ(Coxinha)というのは、「太もも」を意味する単語「Coxa(コーシャ)」に指小辞がついた単語です。
見た目が鶏肉のドラムスティックに似た形をしていることから、その様な名前が付けられたと考えられています。
「コッシーニャ」誕生秘話
コッシーニャは、ヨーロッパ由来の料理がブラジルで変容したものであるというのが通説ですが、面白い“伝説”もあります。
イザベル皇女の息子の“偏食”がコッシーニャを生んだ?
ナディール・カヴァジン氏(Nadir Cavazin)が記した『歴史とレシピ(Histórias e Receitas)』には、コッシーニャの誕生秘話が紹介されています。
この本によると、サンパウロ州リメイラ市のモーホ・アズウ農園に、イザベル皇女が知的障害の息子をかくまっていたとされています。
イザベル(wikipedia)
この少年は偏食のため「鶏肉のモモ肉(coxas de galinha)」しか食べなかったので、ムネ肉、手羽などは同じ屋敷に住む他の者が食べていました。
ある日、少年の料理を担当する使用人は、鶏肉のモモ肉の在庫が不足していることに気がつきました。
罰せられることを恐れた使用人は、モモ肉以外の部位を使って窮状をしのぐことを思いつきました。じゃがいものピューレに鶏肉のほぐし身を混ぜたペーストを鶏肉のモモ肉の形状に整えて少年に供しました。
少年は、この「鶏肉のモモ肉(コッシーニャ)」がたいそう気に入り、それ以後はモモ肉ではなくコッシーニャを所望するようになったとか。
この噂を聞きつけて、リメイラに足を運んだのは少年の祖母でペドロ2世の妻であるテレーザ・クリスティーナでした。テレーザも少年同様にコッシーニャを大変気に入り、リオデジャネイロ皇室のレシピに加えるよう指示しました。
ただし、このエピソードを裏付ける証拠は何もなく、イザベル皇女の息子は全員リオデジャネイロに住んでいたということから、残念ながらこの話は創作である可能性が高いようです。
コッシーニャの起源はフランス料理?
コッシーニャの起源はフランス料理で、フランス料理に影響を受けたポルトガル人がブラジルに持ち込んだとする説もあります。
フランスには、「梨の形をした鶏肉のコロッケ(croquette de poulet em forme de poires)」があり、これがブラジル風に調理されたものが「コッシーニャ」だとする説です。
イタリア人移民とコッシーニャの変容
コッシーニャを普及させたのは、イタリア人移民であったと言われています。
1880年~1930年にかけて多くのイタリア人移民がブラジルに渡ってきました。
日本ブラジル中央協会の岸和田理事の表現を借りると“ブラジルの柳田国男”のような存在である民俗学者のカマラ・カスクードは、コッシーニャは19世紀サンパウロで工業化が進む時代に誕生したものだと記しています。
鶏もも肉の代替品として、安くて長持ちする食品として、コッシーニャが工場労働者向けに販売されたのが普及のきっかけだということです。
当時の工場労働者の多くがイタリア人移民であり、彼らがフランス風のコロッケをイタリア風に変容させた可能性が考えられます。
イタリアには、ブラジルのコッシーニャによく似た料理で、アランチーニ(arancini)と呼ばれる料理があるそうです。
wikipedia
イタリア人は、コッシーニャのことを「ブラジル風アランチーニ」とも呼ぶようです。
見た目はよく似ていますが、アランチーニは別名「ライスコロッケ」とも言われ、中にはお米が入っています。
起源がフランスか、イタリアかは定かではないですが、確実なのはブラジルで変容し、ブラジルを代表する料理の一つになったということでしょう。