ブラジルの「コリンチャンス」名前の由来は?

ブラジル名前の由来

ブラジルの有名な強豪サッカーチームに、「コリンチャンス」というクラブがあります(正式名称は「SCコリンチャンス・パウリスタ(Sport Club Corinthians Paulista)」)。

南米サンパウロのサッカーチームに、なぜ古代ギリシャ都市の名前がついているのか疑問に思ったことはありませんか?この記事では、「コリンチャンス」の名前の由来についてご紹介していきます。

古代ギリシャ都市コリントス

そもそも「コリンチャンス」というのは、「コリントスの人々」という意味があります。

「コリントス」は古代ギリシャにおいて、紀元前8世紀頃から商業中心地として繁栄した都市で、アテネ、スパルタと並ぶ有力なポリスでした。

紀元前146年にローマに破壊された後、前44年に再建され、その後1858年に起きた大地震で壊滅状態に至っています。現存するコリントは約6キロ離れた別の場所に新たに建設された都市です。

その名前は新約聖書に収められた書簡で、使徒パウロがコリントスの教会へ宛てて書き送った2通の手紙『コリント人への手紙』で有名ですね。

「コリントス」という都市名ですが、ギリシャ神話に登場するコリントゥス(ゼウスの子孫、マラトンの息子)によって拓かれたことに由来するという伝説があります。

2年に一度開催されたイストミア競技会

4年に一度開催されるオリンピックが、古代ギリシャのゼウスに奉げる祭典、「オリンピア祭」に起源を有するという話は聞いたことのある方も多いのではないでしょうか。

古代オリンピア祭は紀元前776年からローマ皇帝に廃止される393年までの約1,200年にわたって、4年に一度開催された祭典です。ギリシャ神話の神ゼウスの神域とされるオリンピアで、ゼウスに奉げる祭典でした。のちに、フランス人の提唱により1896年に近代オリンピックとして復活しました。

ところで、「オリンピア祭」は「ギリシャ四大祭典競技会」の一つであり、他にも3つの競技会がありました。その名も、イストミア競技会、ピュチア競技会、ネメア競技会です。

このうち、「イストミア競技会」は、かつて「イストモス」と呼ばれたコリントスで行われた競技会で、海の神ポセイドンを奉って2年ごとに開催された祭典です。

ギリシャ四大祭典の一つが開催されていた地ということもあり、コリントスの人々はスポーツを愛する人々であったことが想像できます。

イストミア競技会

「イストモス」は「くび」の意

コリントスは、かつて「イストモス」と呼ばれたと前述しましたが、「イストモス」とは古代ギリシャ語で「首」を意味する言葉でした。

コリントスは、北部のギリシャ本土と南部のペロポネソス半島を結ぶ要衝にできた都市であり、それが「首(イストモス)」のようであったためにその名がつけられたと考えられています。余談ながら、現代英語でも「イストモス(Isthmus)」はコリントスに限らず、「地峡」を指す用語として利用されています。

裕福で知られたコリントスの人々

コリントスは、その地理的な要因から交通・交易の要衝として、古代ギリシャにおける経済の中心として繁栄しました。

この繁栄により富を得た者も多かったことから、コリント人はその富裕(及びそれに伴う浪費癖)で知られるようになり、いつしか英語で「裕福で放埓な貴族階級の紳士」のことを「コリンチャン(Corinthian)」と呼ぶようになりました。

イストモス祭典の箇所で述べた通り、コリント人にはスポーツ好きの人も多かったことから、スポーツ好き、快楽主義、紳士的な男性という意味でも使われるようになります。

ジーニアス英和辞典で「Corinthian」を引くと、以下のような定義が載っています。

形容詞
1コリントの
2(コリント市民のように)ぜいたくな;<文体が>華麗な、入念な
3[建築]コリント式の
4卓越したスポーツマンシップの

名詞
《中略》
3金持ちのスポーツ[ヨット]愛好家
4《まれ》伊達男、粋人;放蕩者、道楽者

イギリスのアマチュア・チーム「コリンチャンスF.C.」の誕生

話をサッカーに戻します。

19世紀後半、まだサッカーがアマチュア中心だった頃、イギリスはスコットランドの強豪チームに連敗するという屈辱を味わいました。打倒スコットランドを目標に、1882年にロンドンで産声を上げたのが後の「コリンチャンス・パウリスタ」の誕生のきっかけとなる「コリンチャンスF.C.」でした。

クラブのマネジメントは、最強のチームをつくるため全国の複数のチームから最高のアマチュア選手を選りすぐって集めました。

「コリンチャンスF.C.」名前の由来

コリンチャンスF.C.は、平日に試合を開催するようなスケジュールを組んでいました。これは、週末においては掛け持ち選手たちが元々所属していたチームでの試合でプレーできるように配慮したためです。

このことから、当初は「ウェンズデー・クラブ(Wednesday Club)」という名前をクラブ名にするという案がありました。

最終的に、「コリンチャンスF.C.」という名前を選んだのは、ゴールキーパーのハリー・スウェップストーン(Harry Swepstone)でした。当時編集中であったオックスフォード辞書によると、「粋人で喜びを希求する人」を意味する単語であると定義されており、クラブの理念に合致すると考えたそうです。

コリント精神とは?

「コリンチャンスF.C.」に由来する言葉で、「コリント精神(The Corinthian spirit)」という理念があります。コリント精神は、アマチュア・スポーツ界におけるスポーツマンシップ、紳士的な振る舞い全般を指す言葉とされています。

紳士的なプレー・スタイルを尊重し、故意のファールなどは避けるべきであるという信条を持っていました。たとえペナルティを獲得した場合であっても、相手のファールは意図的なものではなかったと考え、故意にペナルティキックを外し、逆に自分たちがペナルティキックを相手チームに与えた時には、ゴールキーパーは相手が点を入れやすいようにゴールポストのほうに身を避けたといいます。

「コリンチャンスF.C.」の活躍と「コリンチャンス・パウリスタ」の誕生

コリンチャンスF.C.は、誕生から20年間で名実ともに成長しました。

最も有名なのが、1904年に行われたマンチェスターユナイテッドの試合です。この試合で、コリンチャンスF.C.は11対3で劇的な勝利を飾り、対戦相手のマンU史上最悪の敗北を記録しました。

ちなみに、この試合の100年後の2004年に、コリンチャンスとマンUのリベンジマッチが開催されましたが、この時は3対1でマンUがリベンジを果たしました。

コリンチャンスF.C.はさながら“サッカー界の宣教師”のように、欧州、南アフリカ、米国、カナダ、南米と世界中で遠征試合を行いサッカーの発展に貢献しました。

1910年にはブラジルでの遠征試合が行われ、この試合に感銘を受けたブラジル人によって同年にサンパウロで結成されたのが、後の「コリンチャンス・パウリスタ」です。

「コリンチャンス・パウリスタ」は、南米最大のチームにまで成長し、2000年から毎年開催されているFIFAクラブワールドカップにおいて、南米では唯一2回の優勝経験を持っています。

余談ながら、FIFAクラブワールドカップを直近3連覇している優勝チームである強豪レアルマドリードのユニフォームは、英国コリンチャンスF.C.のユニフォーム(白い襟付きシャツ)に影響を受けたものです。

なお、コリンチャンスF.C.は、1939年に「Casuals」と合併し、「Corinthian-Casuals Football Club」という名称に変更し、アマチュア・チームとして現在も活動を続けています。

まとめ

  • コリンチャンスは、古代ギリシャの都市名(コリントス)に由来。
  • コリントスは商業的に繁栄し、裕福でスポーツ好きの人が多かった。
  • コリンチャンスの母体は、19世紀末にロンドンで産声を上げたアマチュアチーム。
  • 英国コリンチャンスFCのブラジルへの遠征試合がきっかけで、コリンチャンス・パウリスタが誕生。


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