Source:Michel Bernanau
東京の新木場駅近くに「第五福竜丸」という有名な船が展示されているのをご存知でしょうか?デジタル大辞泉によると、『第五福竜丸=昭和29年(1954)3月、南太平洋ビキニ環礁で米国が行った水爆実験の「死の灰」を浴びて犠牲者を出した、静岡県焼津の木造遠洋マグロ漁船』との説明がなされています。日本史の教科書で名前を見たことがある方も多いと思います。
唐突に堅苦しい話を書いたのですが、私がご紹介したいのは、どちらかといえば「ビキニ水着」の方です。
ビキニ水着は、1946年にフランスのデザイナー、ジャック・エイムが発表したセパレート型の水着がその起源であると言われています。エイムは、水着の小ささをアピールするため、その水着をそれ以上分割できないと言う意味で「アトム(原子)」と名付けました。
同年、エイムに続いてルイ・ルオールが発表した水着はエイムが発表したものよりも、さらに布の面積が小さいデザインでした。その面積の小ささに「破壊的な威力」があったことから、当時米国の原水爆実験場として使用されていた「ビキニ環礁」にちなんで、「ビキニ」と名付けられたと言います(諸説あり)。
ビキニ水着は登場して間もない頃には、その過激さから着用が禁止されていた時期もありました。しかし、1953年にカンヌ国際映画祭の期間中に、モデルの「ブリジット・バルドー(※)」が周囲の批判を気にせずに着用すると、ビキニを禁止しようという雰囲気が一変したそうです。
※パリ出身のファッションモデルで、「フランスのマリリン・モンロー」とも形容され、ヨーロッパを代表するセックス・シンボルとして活躍。
余談ながら、ブラジルではビキニよりもさらに破壊的な威力を有する水着のことを「デンタルフロス(Fio dental)」と呼びます。