一気読み必死!ブラジル冒険小説『山猫の夏』

おすすめの本

ブラジルの東北部(ノルデスチ)を舞台にした小説に『山猫の夏』があります。

作者は冒険小説で有名な船戸与一。

筆者は、5年半ペルナンブーコ州に住んでおりましたが、小説の舞台がペルナンブーコ州であると知り、この有名な小説を先日初めて手に取りました。ストーリー展開にスピード感があり、あっという間に読み終えてしまいました。

この記事では、この『山猫の夏』から引用しつつ、概要を紹介したいと思います。小説のネタバレはありませんので安心してお読みください。

ちなみに、筆者は読んでおりませんが、『山猫の夏』は漫画化もされています。

あらすじ

Amazonの紹介文から引用

ブラジル東北部の町エクルウは、アンドラーデ家とビーステルフェルト家に支配されている。両家はことごとに対立反目し、殺し合いが絶えない。そんな怨念の町に「山猫」こと弓削一徳がふらりと現れた。山猫の動く所、たちまち血しぶきがあがる。謎の山猫の恐るべき正体はいつ明かされる。南米三部作第一弾

南米三部作と書いてあったので、てっきり物語は3冊で完結するのかと思いきや、そうではなく、3つの異なる物語ですので『山猫の夏』のストーリーはこの1冊で完結します。

「エクルウ」というのは著者、船戸与一が設定した架空の町の名前です。

ブラジルに黒人奴隷として連れてこられたアフリカのヨルバ族の言葉で、「憎悪」を意味する言葉ということです。

ブラジルの歴史の一部が学べる

『山猫の夏』には、ブラジルの歴史教科書に出てくるような史実も記述されており、ブラジルの歴史の一部を知ることができます。

17世紀におけるオランダによるペルナンブーコの支配やキロンボ

ブラジルに運搬された黒人奴隷は 東北部の熱暑のなかで苛酷な労働を強制されたわけだが、一六三〇年から四〇年にかけて黒人奴隷たちのすさまじい逃亡がはじまる。このころ、ペルナンブコ州は揺れに揺れていたのだ。オランダがポルトガルからペルナンブコ州を奪い取り、政治状況は何が何だかわからない状態にあった。黒人奴隷たちはその混乱に乗じて農場から逃走し奥地へ奥地へと進んでいき、白人植民者の眼の届かないところまで来て、そこに村落を形成した。この逃亡奴隷の村落はキロンボと呼ばれる。語源はアフリカのヨルバ語だ。おれがサンパウロの歴史学の学生に聞いた話では十七世紀の後半には内陸各地にできたキロンボの総人口は十万人を越えていた

このブログでも以下の記事でも紹介しております。

ブラジル奴隷反抗の象徴「パルマーレス戦争」と英雄ズンビ

ブラジルの武術として日本でも人気のある「カポエイラ」は、この「キロンボ」への逃亡奴隷が白人植民者から身を守る為に利用された護身術です。

カポエイラは「シマウマの求愛」に由来

パルマ―レスの「ズンビ」

「ズンビ」の話も触れられています。ちょっと長いですが、下記引用します。

なかでもペルナンブコ州とアラゴーアス州の境に 跨るバリーガ山脈のなかにできたキロンボは人口三万を有し、選挙された王によって統治されていた。そこでは鍛冶工場が建設され、武器や銃器具類がつくられ、白人植民者の攻撃に備えられたのだ。つまり、キロンボは逃亡奴隷の共和国の様相を呈していた。エクルウのこの地にもそういうキロンボがあったのだ。それは千五、六百人の規模の村落であったらしい。ポルトガルの植民者たちの抵抗を粉砕したオランダはやがてペルナンブコ州各地に散らばるキロンボの撲滅に取りかかった。エクルウのこの地にあったキロンボも十七世紀の終わりに千名のオランダ植民地軍に取り囲まれるに至った。オランダ植民地軍の指揮官は総攻撃のまえに使者を送った。投降するなら、生命だけは保証する、と。この提案にキロンボのなかがふたつに割れた。徹底抗戦派と恭順派の二派に分かれたのだ。そして、結局、たがいが血を流しはじめた。兄弟がふたつに割れて、親族がいがみあって 夥しい血がキロンボのなかに流れた。勝利したのは恭順派のほうだった。数が圧倒的に多かったのだ。だが、内部抗争にけりがついたとき、徹底抗戦派の奮闘によって、キロンボの人口は半分以下に減っていた。恭順派は 満身創痍 になってキロンボのバリケードを取りはずした。オランダ植民地軍の戦闘旗がその一瞬に翻った。指揮官はそれを待っていたのだ、内部抗争の結果、キロンボ内の戦闘力が壊滅状態になるのを!投降すれば生命を保証すると言ったのは奸計に過ぎない。最初からそんな気はありはしなかった。血しぶきがキロンボのなかを真っ赤に染めた。女も子供も老人もすべてが殺されたのだ。最後に殺された男がすさまじい形相で叫んだ。その男は恭順派の指導的地位にあった男で、人間の善意というものを信じていたのだが、死を目前にして何かに祈るようにこう言ったのだ。エクルウ!それはヨルバ語で憎悪を意味する言葉だった。アフリカの黒人奴隷の言葉で憎しみという意味の叫びだった。この地がエクルウと命名されたのはそういう謂れによるものだ。しかし、この地に残されたのはその名まえだけで、キロンボ時代の記憶を留めるものは他には何も残ってはいない。東北部の突き刺すような陽光にそれらは完全に風化し粉塵となってただの土に還っていったのだ。

「カンガセイロ」と「ランピョン」

ブラジル東北部を語るうえでは欠かせない「カンガセイロ」と「ランピョン」についても紹介されています(ただし、「ランピョン」が美化されすぎではないかと思います)。


wikipedia

カンガセイロとはブラジル僻地の匪賊集団のことで、歴史的に東北部に多い。馬で流れながら各地で略奪を繰りかえす。過疎地帯を主舞台として都市には近づかないのが特徴とされている。

「ランピオンってのを知ってるだろう?」ラポーゾの声がおれに向かった。「むかし、東北部を荒しまわったカンガセイロだよ。ランピオンが襲うのはいつだって 荘園主ばかりだった。そして、奪った金は貧乏人に分け与えた。それがほんとうのカンガセイロってものだ。

「サンパウロじゃ、ランピオンの噂はあんまり聞かねえだろうがな、ランピオンってのはすごい男だった」  サンパウロにいてもランピオンの話ぐらいは聞く。それはひとつの義賊伝説だった。通称ランピオン、本名ビルグリーノ・フェレイラ。二十数年間、東北部を荒らしまわり、当時のブラジル政府がその首に多額の懸賞金をかけた五十年まえのカンガセイロだ。最後は奸計によって密殺されるが、その首は一九四〇年から一九六五年までブラジル政府によって悪党のサンプルとしてサルヴァドールの博物館に陳列された。だが、民衆のなかでは義俠の匪賊として記憶され、いまも東北部では絶大な人気がある。とくにバイア州では子供たちが小指ほどの人形をお守りとして胸にぶらさげているほど

ついでながら、「ランピョン(Lampião)」という通称の由来には、いくつか説があるようです。

良く知られているのは、射撃術に長けていたランピョンが、銃を絶え間なく打ち続けると、銃口から発せられる光が「街灯(lampião)」のように見えたことに由来するという説です。

「バケイロ(Vaqueiro)」

半乾燥地帯のノルデスチでは、サボテン科の植物が生い茂るカアチンガと呼ばれる植生の場所があります。この地で暮らすバケイロ(いわゆる、”カウボーイ”)は、トゲから身を守る為に牛革で作った鎧のような衣装を身にまといます。


wikipedia

「半砂漠を抜けることになるかも知れん」半砂漠とはマンダカルやマカンビーラ、それにシケシケといったサボテン科の植物が生い茂る砂の大地だ。 東北部では唇裂きの土地と呼ばれ、そこを通過することはバッケイロにさえ嫌がられている。

「半砂漠を抜けるときのこつはな」背後でラポーゾが言った。「何かうまい方法があるんじゃないかと考えねえことだ。つまり、我慢するより他に方法がねえってことだ

日本人移民による勝ち組・負け組問題

日本人移民の悲しい歴史についても紹介されています。

サンパウロの日本人街に三日も滞在すればだれだってその話は耳にしないわけがない。いわゆる勝ち組と負け組の流血の物語だ。日本人が二派に分かれてせめぎあったその抗争は一九五四年まで十年近くもつづいたのだ。しかも、現在に至ってもまだその後遺症はブラジルの日本人社会のあちこちに残っている。一九四五年八月十五日、太平洋戦争終結とともにブラジルの日本人社会のなかに日本は戦争に勝ったという言説が流れた。それはまたたく間に拡大し、多数の日本人がそれを信ずるようになった。一方、当然のごとく、それを否定する人間も多数いた。それがきわめて短いあいだに勝ち組と負け組というふうに色分けされ、急激に対立を深めていった。日本の勝利を信ずるいわゆる勝ち組は、当時、戦勝派もしくは信念派とみずからを名乗った。だが、もちろんそれはブラジル政府の憤激を買い、弾圧され、秘密結社化していかざるをえなかった。戦勝派がブラジル官憲の眼を盗んで結成したのが臣道連盟と呼ばれる団体だった。逆に、日本の敗北を認めるいわゆる負け組は認識派もしくは敗希派と呼ばれた。認識派は臣道連盟に抗して、日本の敗戦を同胞に認めさせるべく認識運動と呼ばれる宣伝活動を展開した。それに協力したのはブラジル官憲とスウェーデン公使館、それにアメリカ合衆国総領事館だった。

実在するのか、フィクションなのか分からないもの

小説には、実在するのか、フィクションなのか分からないものがいくつか登場します。

カイピリンガ?

小説には「カイピリンガ」という酒が頻繁に登場します。

これは、あきらかに「カイピリーニャ」の間違いかと思いますが、何度も登場するので、そのうちに「カイピリンガ」が飲みたくなってきてしまいます。

「それじゃ、カイピリンガをもらおうか。ただし、砂糖は抜いてな。それにレモンをすこし多目に絞りこんでくれ」カイピリンガとはピンガの氷割りにレモンを入れたものだ。ふつうはそれに砂糖を加えて飲みやすくする。

オジョリとガラルパの虫よけ?

『山猫の夏』の主人公である弓削一徳はアマゾンで育ったことから、不思議な生活術を心得ています。

筆者が気になったのは、「へちま水にアマゾン産のオジョリという果実の液とガラルパという木の根を擦りつぶしたものを混ぜ合わせた」虫よけの薬です。

ポルトガル語の綴りを推測してネットで検索してみたのですが、どうしても「オジョリ」や「ガラルパ」を見つけられませんでした。ご存じの方がいれば、教えていただけますと嬉しいです。

ちなみに、アマゾンの植物で、虫よけ効果があると言われている植物は、バンレイシ科の「Pimenta-de-macaco(直訳すると、“猿の胡椒”)」サトイモ科の「Aninga-açu」などがありました。

瓶の口が開けられ透明の液体が山猫の体にふりかけられた。それとともに 柑橘系の香水の匂いが部屋のなかに漂いはじめた。おれは女たちが山猫の体にその液体を擦りこむのを眺めながら訊いた。 「何の香水なんです、それは?」 「香水じゃない」弓削一徳は気持よさそうに答えた。「これはへちま水にアマゾン産のオジョリという果実の液とガラルパという木の根を擦りつぶしたものを混ぜ合わせたものだ。それに少少、アルコールが加えてある」 「市販してるものですか?」 「いや、おれがじぶんで調合した。こいつは虫よけなんだ。この液を体に擦りこんでおくと、蠅や蚊や虻なんかが近よってこない。どうだ、試してみるか、おまえも?」

ちなみに、弓削一徳の使った虫よけの話は、「化粧」をテーマにした板垣恵介の漫画、『メイキャッパー』にも登場します。『グラップラー刃牙』で有名な漫画家ですね。


 

「キネルパ」という名の虫よけ?

弓削一徳がズボンのポケットから何かを取りだした。それは草の葉っぱだった。それが取りだされたとたん、洞穴のなかに葉緑素とコーヒーが混ぜ合わさったような匂いがすっと広がった。 「そいつを 燻そうってのかよ?」 「そうじゃない、こいつはキネルパと呼ばれている草の葉だ」山猫がそう答えながら草の葉を洞穴の隅々にばらまきはじめた。「燻さなくてもこの葉っぱから発する匂いには虫よけの効果がある。さっき、池のまわりに生えてたやつを摘んでおいたんだ」

こちらもググッてみたところ、「キネルパ」と呼ばれる植物は日本語でもポルトガル語でもヒットしませんでした。

ソブルクデーニョ湖?

ブラジルの東北部ではほとんど雨が降らない。このあたり一帯は 旱魃地帯 と呼ばれている。地表を蔽うのは緑灰色のイバラだけだ。ビーステルフェルト家が 大荘園主として成功した地形的な理由はバイア州のソブルクデーニョ湖を水源とするサンフランシスコ河の支流メルロ河に面した土地を手に入れたからである。

これは、ソブラジーニョ人造湖(Barragem de Sobradinho)を差すものと推測しますが、「エクルウ」同様に著者がわざと名前をアレンジしたのだと思います。

「一度晩餐で屁をかましたやつは二度と招待されることはねえ」?

「やつにはもう何の用もない。さっさと帰ってこう伝えろ。ブラジルにこういう諺がある、一度晩餐で屁をかましたやつは二度と招待されることはねえ、とな」

本当にこんな諺があるのかな?と思い、ポルトガル語訳にして「Quem solta pum nunca vai ser convidado proverbio」と検索してみましたが、該当するページは見つけられませんでした。もしかしたら、この諺も著者の創作なのかもしれません。

以上、長々と紹介してきましたが、ブラジルに興味がある方もそうではない方も、一読する価値のある本だと思います。
まだ、読んだことが無い方は是非、手に取ってみてください。



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