なぜブラジルだけポルトガル語?トルデシーリャス条約とブラジル

南米大陸では、ブラジルだけがポルトガル語を公用語としており、ブラジルとギアナ三国以外の国々ではスペイン語を公用語としています。

スペイン語圏の多い南米で、なぜブラジルだけポルトガル語圏になったのでしょうか。それはスペインとポルトガルが締結した勢力範囲を区分した取り決めに関係しています。

1494年、スペインとポルトガルは各自の領土を定めるトルデシーリャス条約を締結しました。この中で、両国はカーボベルデ諸島から西370レグア(約2,000km)を境にして、西側をスペイン領、東側をポルトガル領と定めました。なぜ、そのように分かりにくい境界線の決め方をしたのか知るには、それまで歴史の流れを紐解く必要があります。

紫色がトルデシーリャス条約で定められた境界線


wikipediaより

西回りか東回りか?

13世紀にイベリア半島におけるイスラム勢力が衰えると、イベリア半島ではアフリカ大陸沿岸を航海してインドに到達することへの関心が高まりました。当時、インドの香辛料は地中海経由によりイベリア半島にもたらされていましたが、ヴェネチア商人によって高いマージンが上乗せされていました。ポルトガルとスペインは、香辛料を直接インドから低価格で調達するため、地中海を経由しないでインドに到達する新航路開拓に関心を寄せていました。

航海術に関しては、スペインよりもポルトガルに一日の長がありました。トルデシーリャス条約が締結された6年前の1488年には、ポルトガルのバルトロメウ・ディアスが既にアフリカの喜望峰を発見しています。ポルトガルの考えは、アフリカの喜望峰を通過して、東回りの航路でインドに到達することでした。

一方でスペインは、1481年から92年までイベリア半島最後のイスラム勢力であるグラナダとの戦争に注力していました。ポルトガルに一歩遅れたスペインは、西回りの航路開拓に注力しました。

カーボベルデ諸島から西370レグア?

アフリカ西岸にあるカーボベルデ諸島は、条約締結時においてポルトガルの領土でした。1456年にヴェネチア商人がポルトガルのエンリケ航海王子の命令によりアフリカ沿岸を航海していた時に嵐にあい、漂着したのがカーボベルデ諸島だったと言われています。

では、西370レグアを境界とすると決めたのは何故でしょう。それを知るためには、トルデシーリャス条約締結の2年前の1492年に遡る必要があります。

コロンブスの新大陸「発見」

東回りの航路でポルトガルに先を越されていたスペインは、西回りの航路でインドを目指すというイタリア人の航海士コロンブスの計画を支援しました。イザベル1世の支援を受けたコロンブスは1492年10月に2ヵ月の航海の果てにバハマ諸島に到達したのです。この時点ではまだヨーロッパ人は北アメリカ、南米大陸の存在を知りませんでした。また、当のコロンブスは、到達した大陸がインドの一部だと信じていました。

教皇子午線(きょうこうしごせん)

コロンブスがスペインに戻ると、スペイン王は時のローマ教皇(アレクサンデル6世)にコロンブスの発見の証人となるよう働きかけました。このアレクサンデル6世は、スペイン出身の人で、買収などの手段によって教皇となった人物です。

翌1493年5月、ローマ教皇(アレクサンデル6世)は教書を発行し、カナリア諸島(スペインの領土)以西で発見され、今後発見される土地についてはスペイン王(イザベル1世とフェルナンド2世)の領有とし、ポルトガルはカナリア諸島より東を領有することを定めました。これを、教皇子午線(きょうこうしごせん)と言います。その取り決めは、ポルトガルを軽視し、スペインを優遇するものでした。

アレクサンデル6世の定めた教皇子午線は、1479年に定められたアルカソヴァス条約に反する取り決めであったため、時のポルトガル王、ジョアン2世はこれを不服とし、スペイン王と直接交渉することを要請しました。

ジョアン2世

アルカソヴァス条約においては、カナリア諸島より南の領域をポルトガルの領土とすると取り決めていました。コロンブスが到達したバハマ諸島は、カナリア諸島より南に位置していましたので、アルカソヴァス条約によれば、新大陸はポルトガルに所属するはずでした。

トルデシーリャス条約の締結

内政問題を抱えていたスペインは、ポルトガルとの政治関係を悪化させることを避けるため、ジョアン二世との交渉に応じ、新たな協定に署名しました。

スペインとポルトガルは、カーボベルデ諸島より370レグア(約2,000キロ)西を境界として、今後発見される領土も含めて西側はスペインの土地、東側はポルトガルの土地と定めました。この協定はスペインのトルデシーリャスで調印されたため、トルデシーリャス条約と呼ばれるようになりました。

トルデシーリャス条約の境界線(カーボベルデ諸島から西370レグア)というのは、ポルトガルの発見した東端のカーボベルデ諸島と、スペインが到達したバハマ諸島のちょうど中間地点で仲良く分けましょう、ということで決められた境界線だったのです。


wikipediaより

結論:なぜブラジルだけポルトガル語なのか

トルデシーリャス条約で定めた境界線を見ると、ブラジルの一部がポルトガルの領土(東側)にかかっているのが分かります。トルデシーリャス条約が締結された6年後の1500年、ポルトガルの船団がブラジルに到達し、ブラジルはトルデシーリャス条約に基づきポルトガル領になりました。

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