関ヶ原の戦いゆかりの地、信州小諸城にゆく

上田観光をした翌日に、小諸にある懐古園を訪れました。懐古園というのは、小諸城址を利用した公園です。
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天下分け目の関ヶ原の戦いの数日前に行われた「第二次上田合戦」の際に、徳川秀忠(二代将軍)が布陣したのがこの小諸城です。

上田城からは車で30分強の場所にあります。右隣は軽井沢です。
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第二次上田合戦の概略

1600年6月、徳川家康が豊臣恩顧の武将を引き連れて上杉景勝の討伐に向かったところ、石田三成が徳川討伐のために挙兵しました。真田も上杉討伐軍に従軍していましたが、三成の挙兵を聞いた真田昌幸、信繁(幸村)は西軍(三成側)につくために軍を離脱しました。

家康は三成を討つべく、上杉討伐軍をそのまま西に向かわせ、三男である徳川秀忠に真田征伐を命じます。3万8千もの軍勢を率いた秀忠は9月2日に小諸城に入場し、真田昌幸に上田城空け渡しの使者をおくりました。

真田側が上田城空け渡しを拒絶したため、交渉は決裂しました。そのため、徳川軍は真田軍の5倍以上もの軍勢をもって上田城を攻めました。

徳川軍は、真田軍を城からおびき出して野戦に持ち込むために、上田城外にある田んぼの稲を刈り取らせました。真田兵の多くが農民兵であったことから、この刈田が行われました。

徳川の刈田の策にかかったと見せかけて、城外に出てきた少人数の真田兵は、徳川軍と衝突すると、直ぐに城内に引き上げました。真田軍は、戦備の整った城内での戦いを狙ったのです。真田兵の作戦に引きずられて上田城に攻めかかった徳川軍を迎えた真田軍は、徳川を圧倒します。

その後、家康から関ヶ原に早く来るようにとの催促の使者が来たため、合戦の決着がつくことなく、秀忠は9月10日に小諸を出立しました。関ヶ原の戦いは9月15日に開戦されており、結局秀忠は戦に間に合いませんでした。

懐古園

長々と第二次上田合戦の話を書いてきましたが、懐古園(小諸城址)は、この合戦において秀忠が布陣した城です。

二の丸跡:徳川軍が本陣を置いたとされる場所。
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紅葉が始まっていて公園内の木々が赤く染まっていました。
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ちょうど菊の展示会を開催していました。
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菊の花で出来た江戸後期の名力士、雷電為右衛門。
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立派な石垣が多く残されています。
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水の手展望台
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水の手展望台からは千曲川の流れる雄大な景色が望めます。元城主の武田信玄もこの景色を眺めたことでしょう。
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園内には動物園があり、ヤギ、ライオン、ペンギン、猿などが見られます。
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