誰かに傷つけられて、心が折れやすい人へ

誰かの何気ないひとことで、心が折れることってありますよね。ぼくも人に傷つけられたリ、人を傷つけたりという経験を色々としてきました。未だに不用意な発言で、人を傷つけることがありますが(特に嫁さん)、少なくとも誰かに傷つけられるということはなくなりました。きっかけは、五年前に読んだ『7つの習慣』という本です。

あえて説明するまでもないほどの名著ですが、ぼくにとって、この本は人生観が変わる本でした。

傷つくのは自分自身の責任

『7つの習慣』の著者は、自分の人生に対する責任を取ることを強調しています。そして、私たちの行動は周りの状況からではなく、私達自身の「選択」によって決めると言うんですね。本の中からぼくが大好きな部分を一部紹介します。

「あなたの許可なくして、誰もあなたを傷つけることはできない。」

「自分の身に何が起こるかではなく、それにどう反応するかが重要なのだ。」

「問題は自分の外にあると考えるならば、その考えこそが問題である。」

つまり、自分にたいして、誰かが酷いことを言ってきたとしても、それで傷つくかどうかは自分が決められるということです。

人間は、他人に対して「無責任」なアドバイスや批判をしてくるものです。「それはあなたには向いてないよ。」「あんたにはできっこないから、今のままでいた方がいいよ。」「なんで、それくらいのこともできないの?」

他人からの評価は、自分では気が付かなかった視点を教えてくれることもありますが、こちらの状況を知りもしないで良く言うぜ、と思うことも良くあるんです。自分の事を一番よく知っているのは自分なんです。表面的な事だけ見て、いわれた他人のヒトコトにいちいち心を傷つけていたらキリがありません。

ぼくは嫌なことを言われたときは、幽体離脱して言われた自分を客観的に見つめるようにしています。言われたことに一理があれば、それを受け入れて改善するようにしますし、無理解からくるコメントであれば、スルーするようにしています。こうすることによって、いちいち他人に傷つけられないで済みます。

他人からの批判を気にしていると、個性がなくなるんですよね。他人に気に入られるようにふるまっていると、自分の良い部分が活かせなくなってきます。ぼくのことを気に食わない人がいれば、もう二度と会わなければいいんだと思っています。世の中には色々な人がいるのだし、合わないひとと無理して付き合っていると、寿命が短くなるし、やりたいことができなくなってしまいます。

悪口はコンピューター・ウイルスだと思え

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ジョエル・オスティーンという牧師さんの話で今でも心に残っているものがあるんです。それは、「悪口はコンピューター・ウイルスだと思え」という話です。

誰かが自分の悪口を言っているのを聞いたとします。他人からの批判で心を折ってしまう人は、その悪口のことばかり考えるんです。丁度、牛が草を反芻するように、時を変え、場所を変え、何度も思い出しては嫌な気持ちになる。

例えば、「お前には才能がないから無理だ。」という言葉を何度も心の中で繰り返したとします。すると、それが本当に自分には才能がないんだという確信に変わってくるんです。そのヒトコトを放った本人は言ったことすら忘れているかもしれないですが、言われた人にとっては人生をも規定するひとことになるのです。

何がいけなかったのでしょうか?もちろん、相手を決めつけるような発言をした人も良くなかったとは思いますが、もっと良くないのは、それを何度も何度も繰り返し反芻した本人なのです。そう、自分の身に何が起こるかではなく、それにどう反応するかが重要なのです。自分の人生をどうするかということをなぜ他人に決められなければならないんですか。

誰かから、心を傷つけられるようなことを言われた場合、それをそのまま受け入れることは、グーパンチを顔面で受けるのと同じことです。甘んじて受け入れなければならない場合もあるかもしれないですが、通常は避けますよね?

冒頭のジョエル・オスティーン牧師の話に戻すと、悪口はコンピューター・ウイルスと同様に扱うべきなんです。心当たりのないメールを受信したら添付メールを開かずに削除しろと会社のIT部門に言われませんでしたか?それと同じことです。心当たりのない批判は、開いてしまうとウイルスに感染してしまうのです。この場合の正しい対応は、「開かずに削除する」です。

心が折れやすい方は、心当たりのない悪口、批判を開く前に削除するというワザを試してみて下さい。効果てきめんですよ。