カブラル?誰それ?ポルトガルで風化するブラジル発見者

1500年4月22日は、ポルトガルがブラジルを「発見」した日として記憶されています。ブラジルを「発見」したポルトガル人は、ペドロ・アルヴァレス・カブラル(Pedro Álvares Cabral)と言う人で、ブラジル人なら誰でも知っています。最近はやらないそうですが、昔は小学校でブラジルの国旗を持って行進したり、国家を歌ったりしてブラジル発見の日を祝っていたそうです。

カブラルという、ポルトガルにとってあまりにも重大な功績を果たしたポルトガル人の名前は、実は本国ポルトガルではあまり知られていないという記事が「BBC BRASIL」に出ていました。

カブラルって誰よ?

四十五歳以上のポルトガル人であれば、「カブラル」が誰かと言うことは何となく知っています。しかし、十七、八歳の若者に至っては、聞いたこともないという人も多そうです。
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カブラルは、ポルトガルの大航海時代における象徴的な人物の一人で、1500年にブラジルにたどり着いたことは、ポルトガルの歴史にとってあまりにも重要な出来事として記録されています。にもかかわらず、ポルトガルにおいては、同時代の他の航海者の影に隠れて、あまり注目されない存在となっています。

航海者と言えば、ヴァスコ・ダ・ガマ

偉大なポルトガル人の航海者と言えば、取りも直さず、インド洋を航海したヴァスコ・ダ・ガマ(Vasco da Gama)の名前がポルトガル人の頭に浮かびます。次に、喜望峰の迂回に成功したバルトロメオ・ジアス(Bartolomeu Dias)が頭に浮かび、カブラルの名前が思い浮かぶのはその次くらいになります。しかし、このブラジルの発見者は、ポルトガルにおいて他の二名ほどに知られておらず、かつ、学校でも学習する機会が無いようです。

リスボンの町を歩くと、ヴァスコ・ダ・ガマとカブラルの人気の違いが容易に分かります。ヴァスコ・ダ・ガマの名前は、リスボンの大きなショッピングセンターの名前にされ、ヨーロッパで一番長い橋(17,185km)の名前にされています。一方で、カブラルの場合、せいぜいカブラルの名前を冠した通りがあるくらいです。

カブラルは面白みに欠ける人物だった?

ある歴史家はカブラルの人気が低い理由を次のように説明します。「彼は、歴史家にとって興味の対象たる個性に欠けています。彼の私生活について分かっていることはわずかであり、かつ、そのわずかな私生活もあまり興味深いものでは無いのです。もしカブラルが戦士であったなら、もしカブラルが北アフリカを責める軍隊の指揮官であったなら、またはポルトガル宮廷を巡る紛争に関係していたならば、後世の関心は非常に大きかったでしょう。」

ヴァスコ・ダ・ガマへの興味が尽きない理由

ヴァスコ・ダ・ガマの場合は、彼の性格にダークサイドがあったため、現代まで歴史家の関心を維持できたものと考えられます。インドへの二回目の遠征の際、彼は自身の残虐性を露わにしました。これが、未だに人口に膾炙する所以なのです。カブラルの場合には、これがないのです。

また、1933年から1974年まで続いた保守権威主義的な長期独裁政権(エスタード・ノーヴォ)が影響しているとする考えもあります。この時期において、政権の公式的なイデオロギーの中心は、ヴァスコ・ダ・ガマ等が関連するアフリカにおけるポルトガル帝国主義におかれました。つまり、政府のイデオロギー的にも、ポルトガル帝国を拡大するのに貢献したヴァスコ・ダ・ガマを英雄とする方が都合がよかったので、ブラジルを発見したに過ぎないカブラルについては、関心が薄かったんですね。

ブラジル発見は意図的か?偶然か?

カブラルに関して論争になる点の一つは、彼は意図的にブラジルを発見したのか、それとも偶然だったのかという点です。この点のあいまいさもやはり、カブラルへの学術的な研究への関心の低さにつながり、ひいては一般大衆の関心の低さにつながっています。

カブラルへの関心を高める

リスボンの学者の一部には、今一度、カブラルに対するポルトガル人の関心を復活させたいと考える人も居ます。

カブラルがブラジルを「発見」したのが偶然だったにせよ、先にブラジルに到達していた人が居たにせよ、歴史に残っている発見者は彼だけなのだから、それだけで敬意を表するに値すると考えることもできます。

テーハ・デ・ヴェラ・クルス(Terra de Vera Cruz)は、「真実の十字架の土地」と言う意味であり、ブラジルに与えられた最初の名前ですが、ポルトガルとこの国の出会いは、ポルトガルにとって感動的なものであり、ポルトガル国民の記憶から風化することは留めなければならないのです。