エンリケ航海王子の眠る世界遺産、バターリャ修道院

前回、ポルトガルがカスティーリャ(スペイン)からの独立維持を賭けた戦い「アルジュバロータの戦い」について、長々と歴史背景をご紹介しました。この戦いに勝利したジョアン1世は、記念に「バターリャ修道院(Mosteiro da Batalha)」を戦場の近くに建設しました。このバターリャ修道院は世界遺産に登録されており、多くの観光客で賑わっています。

バターリャ修道院の名前にある「バターリャ」は「戦い」という意味です。いつもながら、ポルトガル人のネーミングセンスは単純明快でこだわりが無いので好きです。余談になりますが、ネーミングセンスの中で筆者が一番好きなのは、アフリカの「カメルーン」です。これは、この地を訪れたポルトガル人が川にカマロンイス(エビ)が居たからその川をカマロンイス川と名付け、そのまま国名になったという由来があるそうです。

エンリケ航海王子の墓

筆者がポルトガルに行く前には、アルジュバロータの戦いに特に興味があったわけではなく、また、バターリャ修道院も訪問する予定はありませんでした。バターリャ修道院に行ってみようと思ったのは、リスボンの世界遺産ジェロニモス修道院に行った時に、ヴァスコ・ダ・ガマの棺が厳かに展示されているのを見て少なからず感動したことがきっかけでした。この時「エンリケ航海王子の墓はどこにあるのだろう?」と思って調べたところ、どうやら「バターリャ修道院」にあるということが分かりました。

バターリャ修道院は、リスボンのバスターミナルからバスで北に2時間行った場所にあります。戦勝記念に建てられた修道院なので、修道院の周りには見るべきものは他にありません。もし、バターリャ修道院がつまらなかったら、その一日を無駄にしてしまうというリスクもあったのですが、吉と出ることを信じてバターリャに行ってみることにしました。

結果として、バターリャ修道院はわざわざリスボンから往復4時間以上かけて来る価値のある素晴らしいものでした。あまり事前知識を準備せずに行ったのですが、それだけでも楽しめました。旅行から帰って、アルジュバロータの戦いについて詳しく調べたら、もっと興味が湧きました。リスボンから日帰りで行けるので、リスボンに旅行で行くことがあれば、訪問先のひとつに加えることをおすすめします。いくつか写真を載せます。筆者の写真の腕もあまりよくないですが、肉眼で見た時の感動は写真ではなかなか伝えられません。機会があれば、これは肉眼で見ていただきたいです。

ポルトガルに勝利をもたらした聖母マリア

ジョアン1世は、「アルジュバロータの戦い」に臨む前に聖母マリアに戦勝祈願をし、勝利した暁には記念碑を建てることを誓いました。結果として、戦争はポルトガルの大勝利で終わりました。ジョアン1世は戦地から3キロほど離れた場所に土地を購入し、現在「バターリャ修道院」の名前で知られる「勝利の聖母マリア修道院(Mosteiro de Santa Maria da Vitória)」の建設を始めました。

修道院の建築責任者はアフォンソ・ドミンゲス技師という人でした。その後、建築責任者が何人も交代し、約150年の歳月をかけてこの荘厳な修道院は現在の形になりました。あまりにも規模の大きいプロジェクトだったので、建築にかかわった大工は家族を呼び寄せて現場近くに住居を構えました。それが、そのままバターリャ市を形成することになったのです。

ヌーノ・アルバレス・ペレイラの像


バターリャ修道院の前には、立派な騎馬像が置かれています。これは、アルジュバロータの戦いでポルトガル軍を勝利に導いたヌーノ・アルバレス・ペレイラ将軍の像です。戦いの時、ヌーノ将軍は弱冠25歳でした。

修道院内部


バターリャ修道院はゴシック様式の建築で、ところどころにマヌエル様式が施されています。1983年にはユネスコの世界遺産に登録されています。

入り口に足を踏み入れると、高い天井の教会があります。ステンドグラスから降り注ぐ光が幻想的な雰囲気を醸し出しています。エンリケ航海王子の墓やファサードを見学するには入場料を支払う必要がありますが、リスボアカードを持っている場合には無料で見学することができます。

創設者のチャペル


入り口を入って右手には「創設者のチャペル(Capela do Fundador)」があります。ここには、アルジュバロータの戦いに勝利したポルトガル王(ジョアン1世)とその王妃フィリパの霊廟が部屋の中心に置かれています。

エンリケ航海王子の霊廟は、奥の右側にありました。

霊廟の上に彫刻されたエンリケ航海王子が居るのですが、教科書でよく見る似顔絵と同じような顔をしていました。

エンリケ航海王子の隣には、ポルトガル王から身に覚えのない反逆罪を着せられて殺されたエンリケの兄のペドロ王子、タンジェ攻略で捕虜になり、不遇の死を遂げたフェルナンド聖王子の霊廟がありました。

また、ペドロ王子を殺した張本人で、スペインのイザベル1世に王位継承権問題でちょっかいを出したアフォンソ5世(ジョアン1世の孫)、その息子でポルトガルの黄金時代を担ったジョアン2世の霊廟もありました。豪華なメンバーが勢ぞろいだったので大変コーフンしてしまいました。

アフォンソ5世の霊廟

ジョアン1世の息子で、第2代ポルトガル王を継いだドゥアルテ(江戸幕府的に言えば、徳川秀忠)の姿を見かけなかったのですが、ドゥアルテさんは別の場所に眠っていました。

王室の回廊


教会の奥にある入り口から、「王室の回廊(Claustro Real)」と呼ばれる場所に行けます。ここは、真ん中が庭園になっている四角形のファサードで、ジェロニモス修道院のファサードに似ています。建築様式にはジェロニモス修道院と同様にマヌエル様式が施されています。

未完成のチャペル


回廊の奥にある出口からいったん外にでると、右手奥から「未完成のチャペル(Capelas Imperfeitas)」に行くことができます。

このチャペルは、ジョアン1世の息子で第2代ポルトガル王のドゥアルテの命によって自らの霊廟として建設されました。その願い通り、ドゥアルテ王だけは「創設者のチャペル」ではなく、こちらの霊廟に祀られています。

ドゥアルテ王と王妃の霊廟

建設途中にドゥアルテ王が亡くなってしまい、その遺業を成し遂げるものが居なかったので、「未完成のチャペル」という悲しい名前がついています。内部にある門の装飾は目を見張るものがあります。

世界遺産を見ながら優雅にランチ


バターリャ修道院の横には、オープンテラスのレストランが何件かあります。見学が終わった後に、レストランでステーキランチ(Rosbife)を食べたのですが、なかなか贅沢な気分に浸れました。値段も特に高くなかったです。

バターリャへのアクセス

バターリャには修道院以外に特に産業もないからか、リスボンのバスターミナルからの直行バスの本数も少ないです。リスボンから行く場合には、事前にRede express社やRodo tejo社のウェブサイトでバスの時間を調べておくことをお勧めします。

筆者は、都合の良い時間にバターリャ行きのバスが無かったので、直行バスの多い最寄りのレイリア(Leiria)までバスで行き、そこからタクシーに乗ってバターリャまで行きました。タクシー料金は13.60ユーロでした。

帰りはバターリャからバスで帰ることにしたのですが、バターリャのバス停は簡素すぎて「ここで本当にいいの?」と不安になるような場所でした。事前にインフォメーションや、通りすがりのおじさんに、リスボン行のバスがここで待てば良いというのを確認するまで不安はぬぐえませんでした。(結局、時刻表よりも大分遅れましたが、バスは来ました。)

バターリャのバス停

なお、バスにはトイレが付いていないので、乗車前に済ませておくと良いです。

時間がある人は、アルジュバロータに行こう

バターリャから3キロの場所に「アルジュバロータの戦い」の舞台になったアルジュバロータがあります。筆者は、次に別の町に行く予定だったのでバスの車窓から見えた「アルジュバロータ」に足を踏み入れることができなかったのですが、歴史に興味のある方ならきっと楽しいはず。

近郊には、アルジュバロッタの戦い歴史資料館(Centro de interpretação da Batalha de Aljubarrota)もあるみたいです。

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