ポルトガルの悪名高い美女、レオノール・テレス

ポルトガルは、1143年にポルトを中心とする地域がカスティーリャ(スペイン)から独立して成立した国です。ポルトガルに最初にできた王朝はブルゴーニュ王朝と呼ばれていました。王朝名がフランス風なのは、創始者の父親がフランス人だったことに関係しています。このポルトガル最初の王朝は、240年間続きました。

この王朝の次に興ったアビス王朝は、ポルトガルの黄金期である大航海時代を拓いた王朝です。筆者はこのアビス王朝の開祖、ジョアン1世について興味があって調べていたのですが、アビス王朝の誕生の背景には、ポルトガル史上で最も悪名の高い美女がいたことがわかりました。

その悪女の名前は、レオノール・テレス(Leonor Teles)といいます。

この人は240年間続いたブルゴーニュ王朝に終止符を打ち、ジョアン1世がアビス王朝を拓くきっかけを作った人です。この記事では、このレオノール・テレスがいかにして権力を得て、ブルゴーニュ王朝を滅ぼすに至ったのか、ご紹介していきます。

イケメン王とカスティーリャ侵攻

当時、ポルトガルとカスティーリャ(後のスペイン)の王族は互いに姻戚関係を結んでおり、どちらかの王が死去して次期国王を選ぶという時に、王位継承権をめぐって、しばしば争いがおこることがありました。

ブルゴーニュ王朝(ポルトガル最初の王朝)末期のポルトガル王、フェルナンド1世も王位継承戦争を起こしたうちの一人です。このフェルナンド1世は、別名を「端麗王」と呼ばれるイケメンだったようで、22歳の若さでポルトガル王になった人です。

フェルナンド1世が王位に就いた2年後の1369年、お隣のカスティーリャでお家騒動が勃発し、その結果、カスティーリャに新しい国王(エンリケ2世)が誕生しました。この時、フェルナンド1世は「自分にもカスティーリャ王位継承権がある!」と横から主張して、無謀にも軍隊を率いてカスティーリャに侵略しました。結果としては、彼我の軍事力を読み違えたフェルナンド1世率いるポルトガル軍がカスティーリャ軍の返り討ちにあってしまいました。

この戦争の後、カスティーリャとの和睦を結ぶため、フェルナンド1世はカスティーリャの王女と婚約しました。これでしばらくはポルトガルとカスティーリャの関係も良好になるはずだったのですが、ここでこの記事の主役、悪女レオノールが登場します。

人妻レオノールとの出会いと結婚騒動

フェルナンド1世が、レオノール・テレスと出会った時、レオノールはポルトガル貴族のジョアン・ロレンソと既に結婚していて、2人の子供を設けた人妻でした。

レオノールの美貌の虜になってしまったフェルナンド1世は、彼女が人妻であるにも関わらず、レオノールへの恋慕を燃やしました。一方の、レオノールも野心的な女性だったので、現在の夫(貴族)への貞操よりも、ポルトガルの最高位にあるフェルナンド1世との恋愛を優先しました。

カトリックでは、離婚が認められていません。従って、本来ならフェルナンド1世が既婚者であるレオノール・テレスを正妻に迎えることはできなかったはずです。しかし、離婚は認められないけれども、「結婚自体を無かったものとみなす」というウルトラCがあり、レオノールは教会に掛け合うことで、最初の夫であるジョアン・ロレンソとの結婚を無効にしてもらうことに成功しました。

ジョアン・ロレンソとの間にできた2人の子供のうち、長女は幼くして亡くなっていましたが、長男に関しては自分(レオノール)が処女であることを主張するため、別の人の子供であると主張して一切の関係を否定したそうです。レオノールは、権力を得るために、自らの子供すら打ち棄てたのです。

一方のフェルナンド1世は、カスティーリャとの平和協定の紐帯としてのカスティーリャ王女との婚約を破棄し、王女を母国に送り返してしまいました。自国の平和よりも、美しい人妻との結婚を優先するとは、フェルナンド1世もよっぽどレオノールにぞっこんだったのでしょう。こんな間抜けな王に仕えなければならなかった家臣も可哀そうです。

1372年、フェルナンド1世とレオノール・テレスは、ポルト近くの教会で念願の結婚式を挙げました。カスティーリャ王女との結婚による平和維持よりも、どこの馬の骨ともわからない既婚者との強引な結婚を敢行したこの出来事は、ポルトガル国内で非常に不評であり、各地で反対活動が行われました。その後、王妃になって権力を得たレオノールは反対勢力を捕らえて粛清を断行しました。

また、二人が結婚した1372年に、今度はイングランドのランカスター卿にそそのかされて、フェルナンド1世は二度目の戦争をカスティーリャに仕掛けて、再び失敗しています。

ポルトガル王の三度目の過ち

フェルナンド1世を二回とも返り討ちにしたカスティーリャ王(エンリケ2世)は、在位10年の後に病死し、その後を息子のフアン1世が継ぎました。

二回の過ちで懲りていなかったフェルナンド1世は、ここで再び「王位継承権」を持ち出してきてカスティーリャに侵攻しました。その結果、三度目の挑戦もあえなく返り討ちにあうという無能っぷりを披露しました。ちなみに、この一連の三回の戦争はフェルナンドの戦争(Guerras fernandinas)と呼ばれています。

三度の戦争で完膚なきまでに叩きのめされたフェルナンド1世は、心が折れてしまったのか、体調を崩して寝込むようになりました。

フェルナンド1世というブルゴーニュ王朝最後の王は、勝てもしない戦争を3度も引き起こし、人妻に恋をして無理やりに結婚するなどの愚行を残しており、本来は王の器ではなかったのでしょう。ポルトガル国民からの人気も低かったのではないかと思います。

ポルトガルを売りとばした売国奴レオノール王妃

フェルナンド1世が病弱になると、悪女レオノールが暗躍を始めます。

戦後、フェルナンド1世は、カスティーリャ王のフアン1世と平和協定を結ぶことになりました。平和協定の証としてフェルナンド1世とレオノールの一人娘であるベアトリス(当時11歳)を当時25歳のカスティーリャ王(フアン1世)の後妻として嫁がせることにしました。

この結婚を根回ししたのは、カスティーリャのアンデイロ伯爵という男でした。実は、このアンデイロ伯爵はポルトガル王妃レオノールの愛人で、のちにポルトガルに領土をもらい受け、ポルトガル議会において勢力を振るうようになる男です。

フェルナンド1世が病気で衰弱している中、こともあろうか、王妃ともあろうレオノール・テレスが、その美貌と身体で、隣国の政治家を操っていたのです。彼女が愛人を操り、1383年に隣国カスティーリャと結ばせた協定(Tratado de Salvaterra de Magos)の内容は次の通りでした。

  • ポルトガルとカスティーリャの独立は今後も維持すること。
  • ポルトガルの次期国王は、現国王フェルナンド1世の嫡男が継ぐが、嫡男が生まれなかった場合には、ベアトリスが女王となる。
  • フェルナンド1世、ベアトリスがともに嫡男を残さなかった場合、カスティーリャ王がポルトガル王位を継承する。
  • カスティーリャ王が嫡出子孫を残さずに亡くなった場合、ポルトガル王がカスティーリャ王位を継承する。

この条約はカスティーリャ王にとって、非常においしい条件になっていました。というのも、カスティーリャには既に嫡出子孫が居たので、ポルトガル王がカスティーリャ王を継承する可能性はありませんでした。一方で、病床に伏しているフェルナンド1世には嫡男ができない可能性が高く、カスティーリャ王がポルトガルの支配力を強めることができる可能性が高い取り決めになっていたからです。

ポルトガル国民からすれば、この条約は自国の独立を脅かす売国条約でした。というのも、フェルナンド1世の死が近いことは明らかであり、また、王女のベアトリスが嫡男を生まずに死去した場合、ポルトガルはカスティーリャの支配下に落ちるからです。ポルトガル国民の憎悪は、その成立を推進した王妃レオノールに向かいました。

フェルナンド1世の死と内乱

フェルナンド1世は、娘の結婚式を挙げた年(1383年10月)に37歳の若さで死去しました。

フェルナンド1世の死後、王妃レオノールはまだ10歳の幼いベアトリス女王の摂政として、ポルトガル王室での権力を手中に収めました。ポルトガル議会ではレオノールの愛人、アンデイロ伯爵が権力を持つようになっていました。

ポルトガル国民にしてみたら、「成り上がり売国奴(レオノール)」と「その愛人(アンデイロ)」に政治を牛耳られているのですから、たまったものではありません。そのため、レオノールは民衆だけではなく、ポルトガル貴族、聖職者からも憎まれていました。

ここで、この混乱期にレオノールの不人気とは反比例して民衆の支持を集めていた人が居ました。それこそが、アビス王朝を拓いたジョアン1世です。

ジョアン1世は、前王フェルナンド1世の母親違いの弟でした。どこの馬の骨かもわからないような摂政レオノールよりもよっぽど血筋がしっかりしており、かつ、民衆の信頼が高い人でした。

アビス騎士団の団長を務めていたジョアン1世は、貴族たちの支援を受け、手始めにレオノールの愛人であったアンデイロ伯爵を宮中で血祭りにあげました。罪状は、レオノールとの不倫が国王に対する背信行為に当たるということでした。アンデイロ伯爵の処刑を受けて、リスボンのコントロールを失った摂政レオノールは、リスボンを脱出し、サンタレンに逃亡しました。

ポルトガルを侵略したカスティーリャと返り討ちにしたジョアン1世

サンタレンに逃亡したレオノールは、娘婿でカスティーリャ王のフアン1世に支援を要請します。フアン1世は、レオノールの要請を受け、フェルナンド1世の死によりポルトガルの王位を継承するのは、前王の娘で自らの妻であるベアトリスであると主張し、ジョアン1世の守るポルトガルに軍隊を向けました。

ジョアン1世は、「リスボンの攻城戦」と「アルジュバロッタの戦い」の2つの戦いで、カスティーリャ軍に見事勝利し、この勝利をもって新王朝が始まりました。彼がアビス騎士団の団長だったので、この王朝をアビス王朝と呼びます。このアビス王朝において、大航海時代とそれに続くポルトガルの黄金時代が幕を開けました。その立役者になったのが、創始者のジョアン1世とその息子、エンリケ航海王子です。

ところで、サンタレンに逃亡していた元王妃レオノール・テレスですが、その後に逮捕され、トルデシーリャス修道院に収容され、その2年後に惨めな生涯を終えました。レオノールはポルトガルの歴史において、「売国奴」「姦淫者」「悪女」とみなされており、ブルゴーニュ王朝終焉のきっかけを作った人です。

しかし、逆に考えると、レオノールが暗躍してくれたからこそ、時勢が動き、有能なジョアン1世が新時代の舞台に出てくることができたのだとも言えます。もしかしたら、レオノール・テレスの野心が無ければ、ブルゴーニュ王朝はもう少し続いていて、大航海時代もなかったのかもしれません。