レシフェにあるアメリカ大陸初のユダヤ人教会に行ってみた

16~17世紀において、ヨーロッパでユダヤ人が迫害され、改宗を迫られていた時代がありました。当時のユダヤ人にとって、ブラジルのペルナンブーコは、「約束された地」であると考えられていました。

1630年にオランダがレシフェを占拠すると、非常に多くのユダヤ人が信教の自由を求めてオランダからレシフェまで渡ってきました。このユダヤ人移民の手によってレシフェに建設されたシナゴーグ(カハル・ズル・イスラエル/Kahal Zur Israel)が、アメリカで最初に作られたシナゴーグであり、現在は建物が復元され、一般公開されています。
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ブラジルにおけるユダヤ人コミュニティ

オランダがペルナンブーコを占拠すると、ジョン・マウリシオ・デ・ナッサウ伯爵がこの地を統治しました。彼が統治した7年間(1637-44年)、この地は信教の自由が認められていたため、多くのユダヤ人がヨーロッパから移住しました。

彼らがブラジルに来た主な目的は信仰を保つことでしたが、経済的にも成功を収めることも夢にみてブラジルに渡ってきました。レシフェに到着した600家族は、著名なラビであるオランダ人のイサアク・アボアブ・ダ・フォンセカ(Isaac Aboab da Fonseca)を指導者として、レシフェにコミュニティを形成しました。彼らは、シナゴーグのほか、ユダヤ教学校、ユダヤ人墓地を建設しました。

レシフェで指導的役割を担ったラビ
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1654年にブラジルにおけるオランダの勢力が衰退すると、ポルトガルの勢力がレシフェの地を奪還しました。レシフェに住むユダヤ人たちは3ヵ月の間に財産や家具などを売却し、慌ただしくブラジルから逃れていきました。

ブラジルから逃れた一部のユダヤ人は、北米にたどり着き、ニュー・アムステルダムという町でユダヤ人コミュニティを築きました。現在、ニューヨークとして知られている町です。ニューヨークはレシフェから逃れてきたユダヤ人が建設した町だという説もあるようです。

アメリカ最初のシナゴーグを発掘

レシフェの中心から直ぐそばにある有名な通り「良いイエス通り(Rua do Bom Jesus)」にあった家宅の下に、アメリカで最初のシナゴーグの場所があったことが最近分かりました。シナゴーグは、20世紀の初めに取り壊されており、代わりに銀行や家電販売店が建設されたのです。

Rua do Bom Jesus
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考古学の専門家が、シナゴーグのあった場所を発掘調査し、建物の当時の様子を調べました。発掘の最中に、当時のユダヤ人が当時使用したであろう皿なども発掘されたそうです。

修復されたシナゴーグは床がガラス張りになっていて、オリジナルの床を見ることができます。
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ユダヤ教の儀式で使用するものなどが展示されています。
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発掘を進めていく中で、プールの様な形の穴が発見され、本件に関する最も重要な発見となりました。四人のラビが確認したところ、この穴はユダヤ教の身の清めの儀式であるミクワー(Mikvah)を行うための物であることが確認されました。

ミクワー(Mikvah)は、シナゴーグの中で最も重要な部分とされており、ユダヤ教のコミュニティにとって、無くてはならないものだそうです。ここで、ユダヤ教徒は神と会う前の身の清めをするのです。

復元されたシナゴーグの内部
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巨大な聖書
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シナゴーグ内部の壁には願い事を書いた紙が沢山挟んでありました。
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この場所は1636年から1654年までアメリカで最初のイスラエル人のシナゴーグがあった(レシフェ市役所/考古学研究所)

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オランダ人が来る前の地図
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オランダが来るまで経済の中心はオリンダだったので、レシフェはほとんど開発されていなかったといいます。

レシフェの中心(マルコ・ゼロ広場)から歩いて直ぐの場所にあるので、レシフェに行く機会があれば是非足を運んでみてください。

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