ニューヨークはレシフェ出身のブラジル人によって建設された?

レシフェ在住の友人が誇らしげに教えてくれました。「ニューヨークはレシフェからアメリカに移住したユダヤ人が建設したんだぜ。」

レシフェとユダヤ人との関係、ましてやニューヨークとの関係について何も知らなかったぼくは、この友人の話をきかっけにして、レシフェの歴史について調べることにしました。

ポルトガルとオランダによるブラジル支配

ブラジルは1500年にポルトガル人のカブラルに「発見」されて以来、ポルトガル王国により統治されていました。

しかし、1630年から1654年までの24年間に限って、ブラジルはポルトガル領とオランダ領に二分されていました。

これが、ユダヤ人とブラジルとの関係を理解するうえで重要なファクターとなります。

オランダの支配

1630年、オランダは70隻の大艦隊によりペルナンブーコを攻撃し、レシフェとオリンダを征服しました。

1636年に、オランダ領ブラジル総督として、ジョン・マウリシオ・ジ・ナッサウ伯爵(João Maurício de Nassau)が就任。

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fonte: O Instituto Ricardo Brennand

holand in brazil
A União Ibérica e o Brasil Holandês

オランダ領地では信教の自由が認められた

当時、ポルトガル人統治下のブラジルでは、信教の自由が制限されており、ユダヤ教徒はカトリックに改宗することを強要されていました。

一方で、オランダは信教の自由を認めていました。そのため、多くのユダヤ系ポルトガル人達は信教の自由を求めてレシフェに移住しました。

また、ジョン・マウリシオ・ジ・ナッサウ伯爵が統治していた7年間で多くのユダヤ人がアムステルダムから移住してきました。

オランダの統治時代は、ユダヤ教徒にとって、信教の自由を謳歌できた時代でした。
レシフェにアメリカ大陸の最初のシナゴーグが建設されたのもこの時期でした。

しかし、そんな時代も24年間という短い期間のうちに幕を閉じます。

Kahal Zur Israel
アメリカ大陸最初ののシナゴーグ

オランダのブラジル撤退とディアスポラ

1652年の第一次英蘭戦争で、オランダがイギリスに敗北を喫すると、オランダのブラジルへの影響力が弱まりました。そして、イギリスの支援を受けたポルトガル軍は、オランダをブラジルから撤退させることに成功したのです。

ポルトガル軍に再び支配されるようになったレシフェではユダヤ人達が迫害を恐れてブラジルを脱出するようになりました。(ディアスポラ)
当時のユダヤ人コミュニティーは1500人程度だったそうです。

彼らは、主にカリブ、北アメリカへ逃亡しました。

アメリカのニューアムステルダムに移住

1654年、レシフェを脱出した23人のユダヤ人はアメリカの未開の地ニュー・アムステルダムに移住しました。彼らは、北アメリカ初のユダヤ人入植です。

23人のユダヤ人は成人男女と子供で構成され、中にはブラジル生まれの者もいたといいます。

ニューアムステルダムは1664年に英国支配化になり、後にヨーク公に因んでニューヨークと改称されました。

ニューヨークに建設されたシナゴーグはレシフェで発見されたものと様式を同一にしており、当時のユダヤ人コミュニティーではポルトガル語が話されていたそうです。

もしかしたら、ブラジル生まれのユダヤ人がニューヨークの発展に関わっていたのかもしれないと思うと面白いです。
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