レシフェ空港から北におよそ60kmほどの場所にあるビーチリゾート、イタマラカ島(Ilha de Itamaracá)という所に行ってきました。自分としては、イタマラカ島の歴史などに興味があるのですが、まずはどのような場所なのかということをご紹介します。
イタマラカ島に来た観光客は、島の南を目指します。ここには、オランダ人が築いた要塞(Forte Orange)があるほか、コロア・ド・アヴィオン(Coroa do Avião)と呼ばれる小さな島があります。
オレンジ要塞(Forte Orange)
1631年にこの地を支配したオランダ人によって建設された要塞。2016年3月現在では改修作業中ですが、中に入って見ることができます。歴史に興味が無い人にとっては、取るに足らない四角形の要塞ですが、かつてここでポルトガル人とオランダ人が戦ったことを想像すると多少は興味が湧いてくるかもしれません。
コロア・ド・アヴィオン(Coroa do Avião)
オレンジ要塞から見て南の方角に小さな島があります。この島へは、オレンジ要塞の側にいる舟渡のオジサンに頼んで、渡ることになります。島に渡りたそうな顔をしていると、オジサンの方から声をかけて来てくれました。往復13レアル/人を支払って島まで連れて行ってもらいました。帰りの時間は、とりあえず2時間後と約束したのですが、島にいるレストランのオジサンに頼めば船渡夫を呼んでくれます。

島の中には5件ほどのバールがあり、ヤシの葉で出来た日除けの下でビールやココナツジュースを飲んでのんびり過ごします。

こちらのお店では「新鮮なロブスターがあるから、食っていけ」とわざわざ見せてくれました。

こちらは、ロブスターのガーリックオイル焼き。60レアル(1,800円)
このオジサンは、炭火を入れた缶と棒に刺したチーズを5本くらい両手に持って島に現れました。焼きチーズよりも、頭に被ったツノが気になってしょうがなかったので、焼きチーズを買うことにしました。ちなみに、ブラジルでは「ツノ=Corno(コルノ)」というと、妻を他の男に取られた男と言う意味があり、最高の侮辱言葉になるのですが、彼は自らツノを被ることによって、自虐的な男を演じていたのかもしれません。いずれにしろ、ツノを被るだけで売り上げがアップするのであれば、安い投資です。ツノおじさんは、持っていた残りの5本のチーズを売りさばくと、小舟に乗ってイタマラカ島に帰っていきました。片手で持てるだけの在庫を販売して満足するというおじさんの商売スタイルは素朴で親近感がわいてしまいました。
遠浅の海
コロア・ド・アヴィオンの特徴は、遠浅の海にあります。干潮の時間になると、地平線の彼方まで遠浅の砂浜が顔を現します。干潮の際にはマンギ・セッコ海岸(Mangue Secco)まで歩いて行けるほどです。
干潮となり、地平線まで水が引いた時
ボリビアのウユニ塩湖で観光客が良くやるトリック写真がここでも撮れそうです。
貝(Marisco)を獲る漁師
取り方は簡単で、潮が引いた後の泥の中に、網をつっこんで泥の中を這わせます。適当なところで泥を水に流してやると、たくさんの貝が取れます。
コロア・ド・アヴィオンは、水着と好きな本をもっていけば、何時間でも過ごせるような落ち着いた海岸でした。あまり観光地化が進んでいないため、住人も擦れたところがない素朴な人々が多く、静かな場所です。食事の物価も安いです。
古いヴィラ(Vila Velha)
島の高台に位置する「古いヴィラ(Vila Velha)」という場所があります。この村は1516年にポルトガル人によって建設されたヴィラで、ブラジルの歴史を学んだことがある人であれば一度は聞いたことがあるであろう「カピタニア制」のカピタニアの一つ、「イタマラカ」の本拠地があった場所です。
車で行くには、イタマラカ島の入り口を入って直ぐの場所を南に行きます。
Vila Velhaは素朴な村で、町の中心に教会(NOSSA SENHORA DA CONCEIÇÃO)があります。


お土産屋の主人によると、ポルトガル人が高台にこの村を築いたのは、「敵が良く見えるため」だということです。そういえば、サルバドールもオリンダもポルトガル人が築いた街は高台にありますね。