3分で分かるブラジル独立の歴史

9月7日はブラジルの独立記念日です。ちょうど良い機会なので、ブラジル独立の歴史を3分程度でわかるようにまとめてみました。

ポルトガル王室の遷都とポルトガル本国の荒廃

1807年、ポルトガル女王と摂政(後の国王ジョアン六世)は、ナポレオン皇帝の支配するフランスからの圧力から逃れるため、王族、貴族、聖職者など総勢15,000人ほどの人員を載せた船団を組み、植民地であったブラジルに逃げてきました。

ポルトガル王室が去りし後のポルトガルは、イギリスの援助を受けて、フランス軍の二度に渡る侵略から領土を守りました。しかし、この戦争を受けて国土が荒廃した他、連合軍を組んでいたイギリスが今度はポルトガルを支配し始めました。

ポルトガルで自由主義革命が勃発

ポルトガル王室がブラジルに去った後、ポルトガルの国土はフランスとの戦争で荒廃し、イギリス軍への支配に対する不満が高まっていました。そんな時勢の中、1820年に隣国スペインで自由主義革命がおこります。この革命の影響を受けて、ポルトガルでもブルジョワジーが主導する自由主義革命が起こりました。

1821年4月、ポルトガル本国での革命の報をブラジルで受けたポルトガル国王は急遽本国へ帰国します。ブラジル王国の政治に関しては、長男の皇太子(後のペドロ一世)に任せ、国王はポルトガルに帰国しました。

皇太子への帰国命令が流れを変えた

1821年8月、4か月前にポルトガルに帰国した国王に引き続き、皇太子への本国帰還命令が出されました。併せて、ブラジルの行政機関をポルトガルに戻せという命令も同時に出されました。

当時の摂政であったポルトガル皇太子、行政機関がポルトガル本国に戻されてしまったら、ブラジルの再植民地化は秒読みとなり、独立の夢は消えてしまいます。

皇太子のポルトガル帰国を拒否したいと考えたブラジルの独立推進派グループは、皇太子を説得し、1822年1月、帰国命令を拒絶させることに成功しました。

9月7日、イピランガの叫び

9月7日、サンパウロを巡回していた皇太子はイピランガ川付近で父である国王からの手紙を受け取りました。

皇太子(後のドン・ペドロ一世)

父からの手紙には、「ポルトガルに帰国するように」という1月と同じ命令がしたためられていました。再度の帰還命令を受けた皇太子は、国王の要請に反旗を翻し、剣を天にかざして有名なセリフを吐いたといわれています。

「独立か死か!(Independência ou Morte!)」

このイピランガの叫びがあったとされる9月7日が後日、独立記念日に定められました。その翌月1882年10月12日、皇太子はブラジル初代皇帝、ペドロ一世に即位し、これをもってブラジル帝国が成立しました。

*この記事は、以前書いた記事を要約したものです。以下の記事では、ブラジル独立の歴史に関して、もう少し詳しく書いておりますので、良かったら読んでみてください。

独立か死か!ブラジル独立の歴史
9月7日はブラジルが宗主国ポルトガルから独立した記念日です。 ブラジルの独立は、フランス革命に端を発してイギリスによるポルトガルの支配、スペイン・ポルトガルで起こった革命などの要素が複雑に絡み合った中で成立しました。ブラジル独立に至る経緯を理解...