フランス人がブラジルに拓いた都市、サン・ルイスの歴史

ブラジル北東部の州の一つに、マラニャンという州があります。北東部に属していますが、地図で見ると北部のパラ州ベレンに近い場所にあります。かつては、グランド・パラ、マラニョン州(Grão-Pará e Maranhão)と呼ばれる独立州に属していたこともあります。

マラニャン州の名前の由来

「マラニャン」と言う名前の由来はいくつかあって定まったものがありません。最も有力な説は、インディオの言葉(トゥピ語)の、mará-nhã(流れる河)に由来するという説です。ついでながら、スペイン人のフランシスコ・デ・オレリャーナがアマゾン河と命名する以前、アマゾン河は「マラニャン」と呼ばれていたそうです。

アマゾン河の名前はギリシャ神話に由来する
ブラジルといえば、広大なアマゾンを思い浮かべる方も多いかと思いますが、この「アマゾン」という名称は、実はブラジルとは全然関係ないギリシャから来ています。ブラジルの地名の多くはインディオの言葉に由来していますが、「アマゾン」はギリシャ語から来てたんです...

面白い説の一つとしては、アマゾン河を見た人が海と勘違いして「Mar! Ah! Non!(海!ああ!違う!)」と叫んだことから、マラニャンになったという面白い説もありますが、たぶん作り話ではないかと思います。

マラニャン州の州都、サン・ルイス

マラニャン州の州都はサン・ルイスと呼ばれる都市です。サン・ルイスは、ブラジルにおいてフランス人によって拓かれた唯一の都市です。

サン・ルイスがあった場所はかつて、インディオのトゥピ・ナンバ族が住んでいました。この地は、もともとインディオの言葉で「大きな島」を意味するウパオン・アスと呼ばれていました。地図上では、一見本土と陸続きのように見えますが、サン・ルイス島は狭い水路を隔てて本土と相対しています。

植民地時代には貿易で繁栄し、旧市街には要塞や教会等の建造物が保存されており、1997年にはサン・ルイスの旧市街はユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されています。

フランス人の夢の都市

1612年、フランス人のダニエル・デ・ラ・トウシュが、赤道沿いに第二のフランスを作ることを夢見て、約500名の人々を従えてこの地にやってきました。ダニエルは、早速この地に要塞を築き、これをサン・ルイー(Saint Louis)と名付けました。これが、サン・ルイスの街の起源です。ついでながら、サン・ルイーというのは、当時のフランス王、ルイ13世に敬意を表して命名されたものです。

フランス人は、ポルトガル人に対抗するために、地元のインディオと同盟を組みます。

ポルトガル人の占領とサトウキビ産業

1614年、ポルトガル軍はグアシェンドゥーバ戦争(Batalha de Guaxenduba)で、フランス軍に勝利しました。翌1615年、ペルナンブーコからやってきたポルトガル軍が、マラニャンからフランス人を追い出すことに成功しました。

1620年にポルトガル領のアソーレス諸島の人々が、サン・ルイスにやってきて、サトウキビ産業をこの地で始めました。この時から、サトウキビとカシャッサの製造がサンルイスの主要産業になりました。

オランダ艦隊の襲来

1641年に、オランダ艦隊が1000人以上の兵士を率いてサン・ルイス港に入港しました。オランダ人の目的は、砂糖産業の権益拡大でした。この時、オランダ人は既にレシフェ、オリンダ等の他のブラジル北東部の都市を占領していました。

オランダ人は、サン・ルイスの都市建設に対して全く関心を示さず、住民を恫喝でもって脅しました。町全体が無法地帯となり、多くが略奪されました。

その後、オランダ人は新たなサトウキビ農園を求めて、サン・ルイスを起点として、内陸部に領土を拡張しました。オランダ人の占領を苦々しく思ったポルトガル人は、1642年からサン・ルイスの都市内でゲリラ戦を始めました。ゲリラ戦は約3年続き、サン・ルイスの街を荒廃させました。1644年、ついにポルトガル人は、サン・ルイスからオランダ人を追い出すことに成功します。

綿花の生産で発展したサン・ルイス

18世紀の終わり頃、綿花生産のために多くの奴隷がマラニャン州に連れてこられています。1770年から1800年にかけて、綿花の生産量が飛躍的に増加し、マラニャン州の重要な産業の一つになりました。アメリカの市民戦争が始まると、マラニャン州は綿花をイギリスに輸出することで経済的に繁栄し、サン・ルイスのインフラ整備が進みました。しかし、市民戦争が終わると、綿花の行き場所が無くなり、19世紀の終わりにかけて産業は衰退していきました。

ポルトガル風の建物が今でも多く残っているサン・ルイス旧市街
dscn9907

20世紀後半にサン・ルイスにイタキ港が開港されました。イタキ港はロッテルダムに次いで、世界で二番目に深い港であり、カラジャス鉄鉱山から運ばれる資源の輸出港として注目を浴びました。

ニューヨークはレシフェ出身のブラジル人によって建設された?
レシフェ在住の友人が誇らしげに教えてくれました。「ニューヨークはレシフェからアメリカに移住したユダヤ人が建設したんだぜ。」 レシフェとユダヤ人との関係、ましてやニューヨークとの関係について何も知らなかったぼくは、この友人の話をきかっけにして、レ...