なぜ、カーニバルは火曜日なのか?

カーニバルといえば、リオデジャネイロ、フィレンツェ、ニース、ケルンなどが有名です。このカーニバルの起源や、語源、キリスト教との関わりなどをご紹介します。

カーニバルの語源

「カーニバル」という言葉はラテン語の「carnis levale(肉を絶つ)」に由来しており、復活祭に先立つ四旬節において、断食をして俗世の欲を制限することからその名前で呼ばれるようになりました。四旬節というのは、キリスト教で復活祭前に設けられた40日間の斎戒期間のことです。聖書では40という数字がしばしば登場します。例えば、ノアの方舟が洪水に流された日数、イスラエル人が荒野を放浪した年数、キリストが荒野で断食した日数が挙げられます。

カーニバルの日はどう決めるのか

カーニバルの期間は年によって異なりますが、復活祭の日が基準となっています。復活祭とは、イエス・キリストが十字架で死に、三日後に復活したことを祝う祭りで、キリスト教にとって、クリスマスと並んで重要な日と考えられています。復活祭は、春分の日(3月20日又は21日)以降で、最初の満月の後に来る日曜日に祝われます。復活祭から47日前の火曜日がカーニバルの日と定められます。40日前ではなく、47日前なのは、日曜日を数えないからです。

このような計算をするため、毎年火曜日がカーニバルの日となるのです。

灰の水曜日とは何か?

カーニバルの翌日、復活祭から46日前の水曜日は「灰の水曜日(Quarta-feira de cinzas)」と呼ばれます。灰の水曜日は、四旬節の最初の日です。百科事典マイペディアによると、次のように定義されています。「カトリック教会では信者に死と痛恨の必要を想起させるため、各人の額に灰で十字架のしるしをつける儀式を行う

多くの企業では、カーニバルの火曜日が休みになり、その翌日の水曜日は午前中まで休みになります。これは、教会のミサに参加するための配慮だと思いますが、この日にカーニバルの二日酔いを覚ます人も居そうです。

カーニバルの起源

カーニバルは、キリスト教とは全く関係の無い異教徒の祭典に起源を有しています。いくつか祭典の内容をご紹介します。

古代バビロニアの祭典

カーニバルは、古代バビロニアにおける祭りに起源を有するという説があります。その祭りでは、囚人が王と同じような衣類を身に着け、王と同じ食事を食べ、その妻と何日か過ごします。最終日において、囚人は鞭打たれた後に絞首刑又は串刺し刑に処されます。

他に起源として考えられているのは、春分の日の前にバビロニアのマルドゥク神殿において、マルドゥク神の前でバビロニアの王が権力をはく奪されたうえに殴打されるという儀式です。これは、マルドゥク神への絶対服従を示すための儀式で、儀式の後に王は再び権力を取り戻します。

いずれの儀式にも共通しているのは、社会的地位の転覆であり、カーニバルにおいて男性が女性の服を着る、又は逆のことが行われるのは、このメソポタミア文明の影響を受けていると考えられます。

ギリシャのバッカス祭

カーニバルと乱痴気騒ぎの関連は、ギリシャのバッカス祭(ギリシャ神話の酒神、ディオニュソスの祭り)に由来するとする説もあります。ギリシャでは、春の訪れとその年の豊穣を祈願して、ワインを飲んでディオニュソス神を称える祭りがありました。

古代ローマの農神祭

古代ローマの農神祭(Saturnália)やルペルカーリア祭(Lupercália)を起源とする説もあります。祭りの期間はご馳走が饗され、人々は踊りを楽しみました。奴隷が主人役、主人が奴隷役を演じるという社会的地位を交換する遊びも行われました。

カトリック教会の台頭とカーニバルの誕生

次第に社会的な地位を高めていたカトリック教会にとっては、この異教的な祭りを容認することはできませんでした。特に、社会的地位を交換するという点が特に批判の対象になりました。地位の交換が、神と悪魔の立場を交換するという考えにも発展しかねなかったからです。

カトリック教会は、8世紀以降に四旬節を創設し、農神祭やルペルカーリア祭などの異教の祭りを神聖な四旬節の前に行わせるようにしました。これにより、カトリック教会は四旬節を神聖な期間とし、その分、カーニバルの期間に祭りを楽しむようにさせたのです。

各地におけるカーニバルの発展

イタリア・フィレンツェでは、飾り付けられた車に乗った人々が歌を歌いながらパレードをするようになり、ローマやヴェネチアではカーニバルの参加者がバウタ(bauta)と呼ばれる全身を覆う黒い衣類とマントを身に着け、白仮面と海賊のような帽子を被るようになりました。

ブラジルにおいては、カーニバルは元宗主国であったポルトガル人によってもたらされました。その起源は、ポルトガルの祭りであるエントルード(entrudo)であり、当初は奴隷たちによって行われていました。その後、そろいの仮装で繰り出すカーニバル参加者の団体(cordão)、歌い踊りながら練り歩く団体(rancho)、車のパレード(corso)、サンバ隊(escolas de samba)が誕生し、アフォシェ(Afoxé)、フレーヴォ(frevo)、マラカトゥ(maracatu)といったブラジル特有の文化が誕生しました。