ブラジルの主食の豆とごはんは奴隷の食べ物?

日本人の食卓に必ずと言っていいほど味噌汁とごはんが上がるように、ブラジル人の食卓に欠かせないモノをブラジル人に質問したら、豆(フェイジョン)とごはん(アホイス)の2つの組み合わせが上がるでしょう。

ビュッフェ式のレストランで、この2つが置いて無いことはまずあり得ないです。アラカルトで料理を頼んだ場合でも、メインの料理の付け合わせでフェイジョンとアホイスが出てきます。店によってはごはんセット(Refeição)にするか、オカズのみ(Petisco)にするか選べるところもあります。

奥のほうにあるのが、フェイジョンとアホイス。

味噌汁とごはん、それに納豆を食べて育った日本人としては、このフェイジョン・アホイス文化は大変ありがたいです。これまで何気なくその恩恵を享受してきたのですが、ポルトガル旅行に行ったときに、ポルトガル料理にはこの定番セットが無いことに気が付きました。ポルトガルのレストランでは席に着くと、お通しとしてチーズ、ハム、オリーブの実、パンが勝手に運ばれてきます。メインディッシュが運ばれてきた時に、ブラジルのようにフェイジョン・アホイスのセットは出てきませんでした。その時になって初めて、「ああ、あれはブラジルの文化だったんだ」と今更ながら気が付いたのです。

ブラジルに戻ってから、フェイジョン・アホイスがブラジルで食べられるようになった経緯について調べました。いずれも起源は諸説あり定かではないのですが、フェイジョンとアホイスが一緒に食べられるようになったのは割と最近のことらしいということがわかりました。

ブラジルがポルトガルの植民地になって間もないころは、米食は現在ほど一般的ではなく、ましてやフェイジョン豆やフェリーニャと混ぜて食べるといった食習慣もありませんでした。

米食が一般的になるのは、18世紀にポルトガル王室が最初の脱穀機をリオデジャネイロに導入したのがきっかけです。また、フェイジョン豆については、もともとインディオが食べていたもので、ポルトガル人によって連れてこられた黒人奴隷は、この安価で栄養価の高い豆を主食として食べていました。豆は、日本では「畑の肉」と呼ばれることがありますが、ブラジルではかつて「貧乏人の肉」として認識されていました。

19世紀の初めにポルトガル王室は、ナポレオンのフランスに追われ、祖国を捨ててブラジルに逃げてきました。この時、ポルトガルからやってきたポルトガル王のジョアン6世は、麾下の兵士のメニューにお米を追加しました。兵士と奴隷は一緒に過ごすことも多く、黒人奴隷が食べていたフェイジョン豆とポルトガル兵の食べていた米が、いつしか一緒に食べられるようになり、現在のようにブラジル食の定番セットが出来上がった、というのがブラジルのフェイジョン・アホイス文化ができた始まりだとする一説です。