『大邸宅と奴隷小屋』を原書で読む

日本のブラジル関連の本を読むと、ジルベルト・フレイレ著『大邸宅と奴隷小屋(原題:Casa-Grande & Senzala)』という本が頻繁に登場します。なぜブラジルは他の南米諸国と比べて混血が進んだのかという点に興味があったので、一度読んでみることにしました。

ジルベルト・フレイレは1900年にレシフェで生まれた文化人類学者で、1930年のヴァルガスの革命の際に、リスボンに亡命しています。著書『大邸宅と奴隷小屋』は、亡命先のリスボンからブラジルに戻った翌年の1933年に初版が出版されました。

日本のアマゾンで買おうとしたところ既に絶版になっており、中古品は上巻が約9千円、下巻が約2万5千円もしました。上下巻セットで購入すると3万円以上にもなり、かつ、日本からの郵送料もかかります。

そこで、試みにブラジルのアマゾンで原書を探したところ、ポルトガル語版は48レアル(約1700円)というお手軽価格で販売していることを発見しました。

ポルトガル語で読むのは骨が折れそうですし、自分の語学力で最後まで読めるのか不安でしたが、日本語版を購入するよりも遥かにリーズナブルなので、試しに買ってみることにしました。配送料は11レアル(約390円)でしたが、138レアル(約4,800円)以上買うと配送料無料になるとのことでしたので、ついでに似たような本も買ってみました。

約2週間で到着


筆者の住む場所はブラジルの田舎なので、荷物が届くまでに大体2~4週間かかります。約2週間後に到着した荷物は、アマゾンの見慣れたロゴマークの書かれた段ボールに入ってきました。中をあけると、個別にビニール包装された本が5冊と緩衝材として紙が丸められて入っていました。

左端が、『大邸宅と奴隷小屋』の原書です。

予想以上の分厚さ

到着した『大邸宅と奴隷小屋』を手に取ってみて驚きました。予想以上の分厚さで、聖書と同じくらいのサイズでした。中にはびっしりと文字ばかりが書かれており、気を失いそうになりました。

「鉄は熱いうちに打て」といいますので、早速最初のページから読み始めてみました。カルドーゾ元大統領が書いた序文を何ページか読んだのですが、全く頭に入ってきませんでした。絶望しながら序文を飛ばし読みしていると、10ページもありました。

ジルベルト・フレイレの本を読んでいるのに、フェルナンド・エンリケ・カルドーゾの序文で挫折したとなっては笑い話にしかなりません。挫折しないためにも、序文は飛ばすことにしました。

次に現れたのは、フレイレによる序文でした。こちらは26ページもあり、カルドーゾの序文以上に骨が折れそうだったので飛ばしました。やっとたどり着いた第1章を2~3ページ読んだのですが、見出しがなく、ひたすら無味乾燥な文章が続きました。話の筋が掴めないために、全然面白くなかったのでその時点で静かに本を閉じました。

それから一週間ほど、フレイレの本は手つかずに放置されていたのですが、週末に一念発起して再挑戦してみました。とりあえず30分だけ机にかじりついてでも読もう、と決意して本を開きました。

話の筋が分からないパラグラフは思い切って読み飛ばしました。斜め読みをしながら読み進めていると次第に話に引き込まれていき、気が付くと目標の30分を大幅に超えて2時間ほど読書に没頭していました。

とりあえず、第一章だけ斜め読みしたのですが、中でも興味深かった内容をご紹介します。

なぜ、小国ポルトガルがブラジルを獲得できたのか?

ポルトガルの面積は日本の4分の1程度です。他のヨーロッパ諸国と比べても人口の少ないポルトガル人が、なぜ広大なブラジルを獲得することができたのでしょうか。フレイレによると、それは正に「人口が少ない」ことが一つの要因として挙げられます。ポルトガルの男たちは、少数であるがために先住民の女性との間に子孫をつくり、家族を築いていく必要があったのです。メキシコやペルーで、スペイン人が先住民を殺戮するか隔離したのとは全く異なる政策をポルトガル人は採用しています。

また、ポルトガル人は、外国人のブラジル入植を寛容に受け入れていました。入植にあたってのただ一つの条件は、カトリック信仰があることでした。カトリック信仰はポルトガル人の紐帯として大きな役割を果たした、とフレイレは述べています。

ポルトガル人の強みは気候?

地図でポルトガルを見ると、ジブラルタル海峡を挟んで直ぐ南にアフリカ(モロッコ)があります。

「ポルトガルはヨーロッパというより、アフリカの隣国だ」とフレイレは書いています。

地球の歩き方「ポルトガル」の冬の気候の記述をみると、次のように書いてあります。

リスボンの平均最高気温は約15℃、最低気温が8℃程度と温暖で、北ヨーロッパ諸国に比べると格段にしのぎやすい。毛皮のコートのご婦人から薄っぺらいジャケット1枚のお兄さんまで人々の装いは千差万別だが、基本的にはセーターと薄手のコートで十分だ。

フレイレによると、ポルトガル人はこの「ポルトガル気候」で生まれ育った影響で、他のヨーロッパ諸国の人々よりも南米大陸の熱帯性気候に順応することが容易であったといいます。

北米と南米の違い

ブラジルはヨーロッパとは異なる熱帯性気候であったので、この地に移住して来たポルトガル人は母国で主食としていた小麦を捨てて、マンジョッカ芋を主食とせざるを得ませんでした。

熱帯の国々の人は、放っておいてもマンゴーやバナナが生るので努力しなくても生きていけるといった考え方がありますが、一方で、熱帯の害虫や厳しい自然環境が農業の発展の障害になる場合もあることを忘れてはならない、とフレイレは指摘します。

イギリス人が到着した北アメリカでは、気候が西ヨーロッパのそれと類似していたので、農業もヨーロッパで行っているものをそのまま持って来ればよく、これが経済的発展と文明の発展に寄与しました。

ところで、我々日本人がブラジル人に親しみを持てるのは、一つにはブラジル人の身長の低さがあると思います。ブラジル人には体の大きい人も居ますが、日本人と同じくらいの背丈をしている人も多いです。フレイレによると、ブラジル人は小麦の代わりにマンジョッカ芋の粉を主食とした他、新鮮な肉、牛乳、卵、野菜を十分に摂取できなかったため、体格がヨーロッパ本国の人々に比べると劣っているのだといいます。

ブラジルの開拓者たち

ポルトガル人は、ヨーロッパの中でも初めて植民地に定住した人々であると言われています。ブラジルの場合、南はマーチン・アフォンソ、北はドゥアルテ・コエーリョによってポルトガル人の植民がはじめられました。彼らによって、各種植物の種、家畜、農作用具、砂糖の精製法、黒人奴隷などがブラジルに持ち込まれました。

フランスの経済学者リロイ・ボーリューによると、ポルトガル人がブラジルの植民に成功した背景には2つの要素があります。一つは、ヨーロッパの常識が全く存在せず、管理が難しかったこと、もう一つは、未開拓であったことが行動の自由につながったことです。ブラジルが未開の土地であったことが功を奏して、他のヨーロッパ諸国はブラジルにさほどの関心をしめさなかったんですね。

ブラジルの歴史家オリベイラ・ヴィアナは、イギリスの支配したインドは長い歴史を持ち、アジア、ヨーロッパとの交易も行っていた国であったのに対して、ブラジルの場合は未だに石器時代と大きく変わらない生活をする先住民が住んでいたと指摘しています。

アメリカ大陸がカナダからブラジルまで一続きであることを明らかにしたイタリア人のヴェスプッチは、「ブラジルは、豊富なパウ・ブラジル(ブラジルの木)とナンバンサイカチ(熱帯アジア原産のマメ科の高木)しかない大陸であった」と落胆とともに結論づけています。

第二章以降を読んだら、また印象に残った個所をメモしたいと思います。