レシフェの観光スポットになった刑務所

レシフェのダウンタウンには1855年に建設された刑務所があります。日本の重大事件で言うと、時期的にはペリーが浦賀に来航し、安政の大地震が発生した頃の話です。この刑務所は118年に渡って利用されましたが、刑務所としての役割を終えた後はペルナンブーコ州の民芸品を販売する観光スポットになり、レシフェを訪れる観光客の人気スポットの一つに数えられています。

レシフェ刑務所


刑務所の建物は、当時のフランスのモダン様式を取り入れて十字架の形にデザインされました。3階建ての建物に収容可能な囚人は200名でした。

地域経済にもうまく溶け込んでおり、刑務所の囚人が焼くパンは、この地区で最も美味しいと評判があったそうです。また、囚人たちが牛の角で作ったクシ、ボタンセットは品質が高く、人気がありました。さらに、レシフェ・オリンダのカーニバルで有名なクラブ(Vassourinhas)が行進の際に掲げる旗が最初に織られた場所もこの刑務所でした。

下の写真はVassourinhasの物ではないですが、このような旗がカーニバルで使用されます。

刑務所の閉鎖とリニューアル

1973年に入所者急増のため収容能力が追い付かなくなり、刑務所は閉鎖されることになりました。囚人はレシフェ近郊のイタマラカ島の刑務所に移送されることが決定しました。レシフェが生んだ彫刻の巨匠で、ブラジルのガウディの異名を持つ、フランシスコ・ブレナンは役割を終えた刑務所の建物を活用して、ペルナンブーコ州の文化を伝える場所にしようと考えました。

フランシスコ・ブレナン(左)

サンパウロ在住の方なら、サンパウロ美術館(通称:マスピ)の斬新なデザインを一度は目にしたことがあるかと思います。マスピの設計を担当したのはイタリア系ブラジル人女性のリナ・ボ・バルディという建築家です。レシフェの刑務所のリフォームも、この建築家が手がけています。

3年間の修繕作業を経て、1976年にレシフェの刑務所はカーザ・ダ・クルトゥーラ(a Casa da Cultura)という名前を冠してオープンしました。(カーザ・ダ・クルトゥーラという名前は英訳すると「カルチャー・ハウス」という意味。)

正面入り口

カーザ・ダ・クルトゥーラには、ペルナンブーコ州の各地から集められた民芸品が販売されていて、買わないで眺めているだけでも楽しいです。刑務所の独房がそのままお店になっていて、独房番号も入り口に付いています。店によって商品に特徴があるので面白いです。二階部分は部屋の作りが比較的広く、郷土料理を出すレストランもありました。

独房を改良した店舗

中の様子

刑務所だった時を偲ばせる鉄格子

色鮮やかな文化


ペルナンブーコでは、カーニバルの時にカラフルなミニ傘を使った踊り「フレーボ」が有名です(上の写真)。この傘の色が象徴するように、ペルナンブーコの文化も色鮮やかなものが多く、南国らしさを感じます。

ペルナンブーコ州には、ブラジル3大カーニバルの一つとも言われる、レシフェ・オリンダのカーニバルがあり、民芸品や建物の内装も、このカーニバルの文化を色濃く受けています(フレーボ、マラカトゥ、オーメン・ダ・メイア・ノイチ、カブロボ・デ・ランサ等)。

カボクロ・デ・ランサと筆者

また、カーニバルに並び重要なイベントであるサンジョアンやセルトン関連の影響も各所に見られます(ルイス・ゴンザーガ、ランピョン等)

ルイス・ゴンザーガ

カンガセイロの帽子が公衆電話に

これであなたもカンガセイロ

ブラジルにしか自生しない黄金の草(カッピン・ドウラーダ)のアクセサリーなども販売されていました。

ペルナンブーコ州の文化に初めて触れる方には、訳のわからない部分も多いと思いますが、レシフェに来たなら一度は足を運んでみたい観光スポットの一つです。面積がかなり広いので、ここで1~2時間は楽しめると思います。