カヌードス戦争-貧困農民の怒りの蜂起

今週日本からブラジルに来るAさんから、バイーア州カヌードスへの旅行の誘いを受けました。カヌードスと言えば、ブラジルの歴史の教科書で名前だけは聞いたことがありましたが、調べてみると筆者が住むペトロリーナから比較的近い場所にありました。

カヌードスと言われて、ピンと来る日本人はそれほど多く無いのではないかと思いますが、ブラジル通のAさんはこれまでに2回カヌードスに訪問したことがあるとか。今年はカヌードス戦争の終戦から120周年なので、訪問して時代の流れを体感したいというシブい理由が今回の旅の目的でした。どうせ行くのであれば、筆者も歴史的背景も知っておきたいと思い、カヌードス戦争について調べてみました。

カヌードス戦争の概要

カヌードス戦争は、1896年11月から1897年10月にかけてバイーア州の集落カヌードスの民衆と政府軍との間で起こった紛争です。

カヌードス戦争は、貧しい民衆が政府による理不尽な社会的圧力に対して抵抗した重要な事例の一つとしてブラジルの歴史に記録されています。

カヌードス戦争が起こった背景-東北伯の社会的不平等

カヌードス戦争とは何ぞや、という事を知るためには、この戦争が起こった19世紀末の東北伯の過酷な状況を理解しておく必要があります。

当時のブラジルは、持てる者(大土地所有者)持たざる者(土地なし農民)に分かれていました。現代でもブラジルは貧富の格差が激しいですが、当時はこれとは比較できないほどの格差が存在しており、土地なし農民たちの困窮は筆舌に尽くしがたい悲惨な状況だったといいます。

当時の東北伯には、その日の食事にも困るような貧困層が多く住んでいました。1888年に奴隷制は廃止されていましたが、当時はまだ政府の監督が行き届いていませんでしたので、土地なし農民たちの境遇は奴隷と大きく異なるところが無く、労働に対する正当な報酬の受取もままならない状況であり、彼らは大土地所有者によって搾取されていました。あまつさえ東北伯を定期的に襲う干ばつは、農業、畜産の生産性を悪化させ、土地なし農民たちの生活を打ちのめしました。住居や食事環境が劣悪な中、毎年、何百万人もの人々が飢えと渇きにより死亡しました。これに対して、政府は彼らが最低限の生活を送るための保障を何一つとして講じることがありませんでした。

土地なし農民たちの蜂起-カンガセイロ

このような環境の中、土地なし農民達の中には徒党を組み、武装して大農園主の敷地に侵入して強盗をする者が出てきました。この盗賊のことをポルトガル語でカンガセイロと呼びます。「盗賊の王ランピョン」と呼ばれた最も有名なカンガセイロは、大衆の人気を得るため大農園主から強奪した物品を民衆に配ったことから、現代でも東北伯の人々には大変人気があります。大土地所有者たちは、カンガセイロに対抗するため用心棒(ジャグンソ)を雇うようになりました。

ブラジルの政教分離

ブラジルは、1889年に帝政から共和制に移行しました。政府はカトリックを国教とするのをやめ、政教分離を進め、それまで教会の専売特許であった婚姻の民事化、墓地の世俗化などが進められました。教会を生活の支柱に据える伝統的な価値観に慣れていた農民たちにとって、政府の政教分離政策は不安を感じさせるものでした。

千年王国カヌードスの建設

バイーア州の集落カヌードスは、巡回説教師のアントニオ・メンデス・マシェル、通称アントニオ・コンセリェイロ(助言者アントニオ)によって、建設されました。

彼は、放棄された牧場を拠点にし、土地なし農民たちに終末(*)が近いことを説きました。(*天に昇ったキリストが再臨し、死者と生者が最後の審判で裁かれ、天国と地獄に分けられるというキリスト教の考え。

アントニオ・コンセリェイロは、カヌードスに千年王国(*)を築こうとしました。(*キリスト再臨後、最後の審判前までの1,000年間をキリストが地上の王国で治めるというヨハネの黙示録に基づく考え。

アントニオ・コンセリェイロは、社会的格差と共和制の悪弊を是正するために神により使わされたと主張し、貧困により希望を失った農民たちに、天国へ行くためにカヌードスで神に喜ばれる生活態度を送ることの必要性を説きました。さらに、政府の政教分離を批判し、教会の建設や改修を進めました。農民たちの人気を得ました。

カヌードス戦争の始まる1896年頃には、カヌードスには2万人程の住民が東北伯の各地から集まっていました。彼らは必要物資を平等に分けあい、近隣の町と物々交換を行うことにより、生計を立てていました。

カトリック教会、大土地所有者との対立

カヌードスのリーダー、アントニオ・コンセリェイロは、大土地所有制による搾取を否定し、バイーア州政府に税金を納付することや州の法律等に従うことを拒絶しました。

これに加えて、カヌードスの誕生は、カトリック教会から多くの信者がカヌードスに移り住み、大土地所有者は労働力を失うという損失をもたらしました。これを受けて、カヌードスと教会、大土地所有者による対立が深まっていきました。司教と大土地所有者とは共謀してバイーア州政府に事態の打開を働きかけました。

カヌードス戦争

司教と大土地所有者の要請を受けたバイーア州政府は、カヌードスに軍隊を送りましたが、3回に渡る試みはいずれも失敗しました。アントニオ・コンセリェイロに従う人々は武装し、州の軍隊を押し返したのです。3度の失敗を受けて、バイーア州政府は連邦軍の支援を要請しました。要請を受けて、ブラジル各地から重装備をした約1万人の軍隊がカヌードスに集結しました。

カヌードスの人々は、さすがにこれにはひとたまりもありませんでした。ここに、ブラジル政府によるカヌードスの住民の大虐殺が敢行されたのです。カヌードスの人々は、政府の武力に抵抗しましたが、女子供、老人も無慈悲に虐殺され、首謀者のアントニオ・コンセリェイロは1897年9月22日に殺害されました。カヌードスは、1897年10月5日に破壊されています。

アントニオ・コンセリェイロの遺体

Wikipediaより

カヌードス戦争は、貧しい民衆が政府による理不尽な社会的圧力に対して抵抗した重要な事例の一つとしてブラジルの歴史に記録されています。

RECORD局の特集番組。5分ほどでカヌードス戦争の雰囲気が分かります。

カヌードス戦争は3時間弱の映画にもなっています。興味のある方はチェックしてみてください。