ブラジル・カーニバルとサトウキビ栽培の関係

レシフェ、オリンダのカーニバルはブラジル三大カーニバルの一つであると言われています。
(①リオ、②サルバドール、③レシフェ、オリンダ)

カーニバルの時に、集団で登場する一風変わったキャラクターの一つに、Caboclo de lanca(カボクロ・ジ・ランサ)というのが居ます。
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Caboclo(カボクロ)とは、白人とインディオの混血を指す名称。Lanca(ランサ)というのは、槍です。

Caboclo de lanca(カボクロ・ジ・ランサ)というのは「槍を持ったカボクロ」という意味で、カラフルな衣装を着て、口に花を加えて槍を振り回しながら舞を踊るキャラクターです。

初めて見たときは、「カラフルな田代まさし」みたいだなと思いましたが、レシフェ・オリンダでは、そこかしこでCaboclo de lancaを目にする機会があるので、この地域の人々に愛されているキャラクターなのだと思います。

Caboclo de lanca(カボクロ・ジ・ランサ)の起源

Caboclo de lanca(カボクロ・ジ・ランサ)はMaracatu Rural(マラカトゥ・フラウ)と呼ばれる踊りの中で登場するもっとも重要なキャラクターです。

Maracatuの起源は明確ではないのですが、アフリカ及びインディオの文化が融合して発生したものであることは確かです。Caboclo de lanca(カボクロ・ジ・ランサ)はインディオが、ブラジルに入植してきた白人から自らの土地を守った戦士に由来すると言われています。

両手に持つ槍は、自らの土地を守る象徴なのです。

口にくわえたカーネーション(cravo)の花にも意味があります。カボクロ達はカーニバルが始まる前にカーネーションを摘みそれぞれの願いを込めるのです。

カーネーションの無いCaboclo de lanca(カボクロ・ジ・ランサ)はいちごの無いショートケーキのようなものです。
caboclo de lanca

ペルナンブーコ州と砂糖産業小史

Maracatu発祥の背景にはブラジルの砂糖産業の歴史があります。

ポルトガル王室が1549年に国王直属の総督が直接ブラジルの植民地経営を担う総督制を導入し、初代総督トメ・ジ・ソーザが1000人の入植者を率いてバイーア州に到着しました。

この時、ブラジルの首都はバイーア州のサルバドールに定められました。

総督制により、本格的な植民地経営を進めた結果1570-1670年代の一世紀の間、ブラジルにおける砂糖産業は目覚ましい発展を遂げました。主な生産地は首都のあるバイーア州とその北に位置するペルナンブーコ州等の北東部でした。

サトウキビ栽培で富を築いた領主たちはsenhor de engenho(セニョール・ジ・エンジェーニョ)と呼ばれました。

engenho(エンジェーニョ)はサトウキビの搾汁機械のことですが、当時、サトウキビの搾汁機械は非常に高価であり、所有できる農園主が少なかったそうです。

このことから、engenho(エンジェーニョ)が、サトウキビ農園のことを指すようになり、農園主はsenhor de engenho(セニョール・ジ・エンジェーニョ)と呼ばれるようになりました。

農園主たちは労働者を農園内に住みこませていたのですが、この労働者たちがMaracatu Rural(マラカトゥ・フラウ) という文化を形成して来たと言われています。

アフリカ文化の融合

砂糖産業の労働力は、当初インディオに大きく依存していたのですが、インディオの酷使、疫病の流行の結果、インディオの数は激減していきました。

そんな中、インディオへのキリスト教布教という使命をもったイエズス会の宣教師達の働きかけによって、1570年にインディオ奴隷化禁止令が発布されました。

インディオの代わりの労働力として、アフリカから黒人奴隷が輸入されるようになりました。黒人奴隷はサトウキビ栽培の重要な労働力を担いました。

Maracatu Rural(マラカトゥ・フラウ)が、キャラクターや楽器の特徴としてアフリカ文化を色濃く受け継いでいるのは、そのような背景があったのです。