バイーアのボンフィン教会はポルトガル軍人が建設?

サルバドール近郊

サルバドールの旧市街(ペロウリーニョ)から北に8キロほど行った場所に、ボンフィン教会(Basílica do Senhor do Bonfim)という有名な教会があります。ボンフィン教会と言えば、サルバドールを訪れる旅人が必ず目にするであろう、ボンフィン・リボンの発祥の地です。

筆者はサルバドールで2ヵ月間の語学留学をし、その後も何度もサルバドールに足を運んでいますが、中心部から少し離れているので、一度もボンフィン教会まで足を延ばしたことがありませんでした。

先日、サルバドールに在住の日本人夫妻に、このボンフィン教会まで連れて行って頂き、初めて訪れることができました。その時の様子をご紹介します。

海の近くの丘の上にある教会

ボンフィン教会は海岸沿いにある丘の上に建っています。訪れた日が丁度日曜日でしたので、ミサに参加する信者で込み合っていました。教会の周辺には土産物を売る屋台が10件近く軒を連ねていました。筆者は有名なボンフィン・リボンでできたキーホルダーを購入しました(3つで10レアル=約35円)。ボンフィン・リボンのミニポーチも10レアルです。

教会の周りには、白い民族衣装を着たアフリカ系ブラジル人が居て、お祓いサービスを提供していました。

教会の柵には、これでもかというほどのリボンが結び付けられていました。訪れた信者は、このリボンを結んで願い事をするのす。

教会内部の右側には、ポルトガル語でエスボト(ex-voto)と呼ばれるマネキンが天井や壁からぶら下がっていました。身体の悪い箇所が治癒したカトリック教徒が感謝の気持ちを込めて教会に贈ったものです。

病気が治った人の写真も貼りだされています。写真のおばあちゃんの札には、「がんを克服した!ありがとう私のイエス・キリスト」と書いてあります。

ポルトガルの海軍がもたらしたボンフィン教会

ボンフィン教会は、もともとポルトガルのリスボン南部にある都市、セットゥーバル(Setúbal)に1669年に建設された小さな教会でした。ボンフィン信仰は、ジョアン五世の治世において特に民衆に広まりました。

ボンフィンの熱心な信者の一人に、テオドージオ・ホドリゲスという海軍の将校が居ました。彼が航海中に嵐に遭遇した時、無事に生還できた場合にはボンフィン教会をブラジルに建設するという誓いを立てました。

無事に生還した将校は、1745年、約束を守って故郷のセットゥーバルからボンフィン(キリスト像)のレプリカを持ち込み、当時のブラジルの首都サルバドールでボンフィン教会の建設を開始し、着工から約30年後の1772年に完成しています。建物はネオクラシック様式ですが、ファサードはロココ様式で作られました。壁面にはポルトガルのアズレージョが見られます。

ボンフィンの大掃除

一月に行われる「ボンフィンの大掃除(Lavagem do Bonfim)」というのがこの教会で最も重要な祭典です。ボンフィン教会の南、8キロほどの場所にある教会(a Igreja de Nossa Senhora da Conceição da Praia)から7つの薬草で香りづけされた水を運び、ボンフィン教会の階段を清めるというお祭りです。祭典では、バイーア州の人々は白い伝統衣装を着て待ちを練り歩きます。

セニョール・ド・ボンフィンって誰?

セニョール・ド・ボンフィンは、文法的にみると「ボンフィンのセニョール」という意味です。セニョールというのは男性を敬う時に使うことばですが、単独で使用された場合、「Senhor Jesus Cristo(主イエス・キリスト)」という意味になることがあります。ついでながら、ブラジルの教会の名前でよく見かける「Nossa Senhora(ノッサ・セニョーラ)」というのは、「私たちの淑女」すなわち「聖母マリア」を示しています。

ボンフィン(Bonfim)というのは、「Bom = 良い」と「Fim=終わり」が結合した言葉です。つまり、「セニョール・ド・ボンフィン」というのは「良い終わりの主イエス・キリスト」と訳すことができます。これは、十字架の上で死に、三日後に復活したことを示すので、意訳するとすれば「復活の主イエス・キリスト」と言う意味が妥当かと思います。

聖人の衣服が大衆化した「ボンフィン・リボン」の歴史