パライーバ州旗に隠されたジョン・ペッソーアの歴史

ブラジルには26の州と1つの連邦直轄区があります。26の州のひとつ、パライーバ州の州都に、ジョン・ペッソーア(João Pessoa)という変わった名前の都市があります。「ジョン」というのはブラジルではよく見かける人名です。「ペッソーア」というのは、人間という意味の単語です。直訳すると、「ジョン人間」となるこの町の名前の由来を調べていたら、色々と面白い歴史を発見しました。

ジョン・ペッソーアは日のいずる国?

世界地図でアメリカ大陸を見ると、ジョン・ペッソーアはアメリカ大陸の極東にあることがわかります。ジョン・ペッソーアのカーボ・ブランコ海岸の岬にある灯台は、「アメリカ大陸で最初に太陽が昇る場所」とも言われています。

ブラジルで三番目に古い都市

ジョン・ペッソーアは、かつてブラジルの首都であったサルバドール、リオデジャネイロに次いで、ブラジルで三番目に古い都市と呼ばれています。古さだけで言えばもっと古い町はあるのですが、それらの町は小さな集落が村になり、町に成長するという流れを経ています。ジョン・ペッソーアの場合、最初からポルトガル王室によって都市とすることを意図して建設された町でした。カピタニア制の時代から、ポルトガル王室による商業管理を行う都市として機能してきました。

ジョン・ペッソーアの海外沿いの建物は3階建てまでとすることが法で定められており、レシフェのボアビアージェン海岸のように、海岸に高層ビルが立ち並ぶということはありません。街中には多くの木々が植えられており、海岸も清潔に保たれています。

四回も改名されたジョン・ペッソーア

ジョン・ペッソーアの町は、現在の名前になるまでに度重なる改名が行われており、名前の変遷がこの都市の歴史を物語っています。

1.雪の聖母

町が設立された1585年8月5日は、雪の聖母(Nossa Senhora das Neves)の日であったことから、「雪の聖母」という名前がつけられました。現在でも、雪の聖母はジョン・ペッソーアの守護聖人とされています。ついでながら、日本でも「雪の聖母」を冠するカトリック系の幼稚園や、社会福祉法人などがあります。

2.フェリペの雪の聖母

その三ヵ月後の同年10月29日には、「フェリペの雪の聖母(Filipéia de Nossa Senhora das Neves)」と改名されています。ブラジルの宗主国であるポルトガルは、一時期、スペインの支配下にはいりました。スペイン王の名前がフェリペ二世であったことから、彼の名前が足されたのです。

3.フレデリクシュタット

それから約50年後の1634年12月26日には、「フレデリクシュタット(Frederikstadt)」というブラジルらしからぬ名前に変更されています。これは、オランダの皇太子フレデリコ・ヘンドリックに敬意を表して命名されたものです。ブラジルの砂糖産業に目を付けたオランダは、1630年から1654年までの間レシフェを中心とするブラジル北東部地方を支配していました。オランダ人がジョン・ペッソーアを制圧したのは1634年のことで、それから20年間この地を占領していました。

4.パライーバ

1654年にポルトガル人がジョン・ペッソーアを奪還すると、「雪の聖母」という名前に戻った後、今度は「パライーバ(Parahyba)」に改名されました。これは、カピタニア制を採用していた時の名前に由来するもので、綴りは違いますが、現在でもジョン・ペッソーアの属する州の名前として残っています。

5.ジョン・ペッソーア

現在のジョン・ペッソーアという町の名前は1930年9月4日に名付けられました。これは、当時のパライーバ州知事である、ジョン・ペッソーア・カバウカンチ・デ・アルブケキ(João Pessoa Cavalcanti de Albuquerque)に敬意を表したものです。この人は、1930年にレシフェで殺害されているのですが、これに関しては、ブラジルの歴史を一変させる重要な革命と関係があり興味深いので、以下詳しくご紹介します。

パライーバ州の旗

パライーバ州の州旗はちょっと変わっています。赤を基調としており、白抜き文字で「NEGO」と書かれています。Negoというのは、「拒絶する」という意味の動詞「Negar」の一人称です。州の顔でもある州旗に、「拒絶」と書かれているのは一体どういうことでしょうか?この州旗が誕生した歴史的背景は次の通りです。

カフェ・コン・レイチ体制

帝国主義が終わり、共和制が始まってしばらく経った当時、大統領はサンパウロ州とミナスジェライス州とが交代で選出することになっていました。この体制は「カフェ・コン・レイチ(コーヒー牛乳)」と呼ばれていました。

当時、コーヒーがブラジル輸出経済の7割弱を担っていたことから、その主要な生産地であるサンパウロ州とミナスジェライス州のコーヒー生産者が政治的な権力を握っていたのです。日本で言えば、明治期に薩長閥が政治を牛耳っていたことをイメージするとわかりやすいかもしれません。

「カフェ・コン・レイチ(コーヒー牛乳)」という名前ですが、サンパウロ州とミナスジェライス州の特産物が、それぞれコーヒーと酪農であったことに由来しています。

カフェ・コン・レイチ体制の破綻

サンパウロ州から選出された大統領ワシントン・ルイスは、1930年に実施予定の次期大統領候補として、ミナスジェライス州との協定を無視して、サンパウロ出身のジュリオ・プレステスを指名しました。ワシントン・ルイスの指名に対して、他の17州も賛同しました。

当然、ミナスジェライス州の政治家は、ワシントン・ルイスの暴挙に異議をとなえました。彼らはリオグランデドスル州とパライーバ州の議員からも同志を募り、アリアンサ・リベラル(自由同盟党)という政党を結成しました。自由同盟党は、ブラジル大統領候補としてジュトゥリオ・ヴァルガス(Getúlio Vargas)、副大統領候補には、この記事の主役であるジョン・ペッソーアを指名しました。

パライーバ州の知事であったジョン・ペッソーアは、サンパウロ州のジュリオ・プレステスを支持することを要請されましたが、これを拒絶しています。

自由同盟党の努力もむなしく、1930年3月に実施された大統領選ではジュリオ・プレステスが大統領に選ばれました。自由同盟党は、選挙の方法に著しい不正があったと指摘しましたが、選挙の結果を覆すには至りませんでした。選挙に勝利したジュリオ・プレステスは、11月に大統領に就任する予定でした。

ジョン・ペッソーアの死とヴァルガスの武力革命

選挙から四ヶ月後の7月、自由同盟党の副大統領候補であったジョン・ペッソーアが、政敵によってレシフェで殺害されました。この事件は、ブラジル民衆に大きな衝撃をもって受け止められました。ジョン・ペッソーアの死をきっかけに、ブラジルの政情は一層混迷していきました。そんな情勢のなか、ジュリオ・プレステスの大統領就任に不満を抱く将校たちが、10月にリオグランデドスル州で反乱を起こしたことを皮切りに、ブラジル各地で反乱がおこりました。自由同盟党はこれに乗じて武力革命によって、共和制を滅ぼしてジュトゥリオ・ヴァルガスを大統領に仕立て上げました。この革命は「1930年革命」と呼ばれ、ブラジルの歴史の転換期を象徴する出来事とされています。ヴァルガスは、その後20年間にわたってブラジル大統領の地位を占めます。

拒絶の意義

さて、話をパライーバ州の州旗に戻します。パライーバ州旗の赤い色は大統領候補ジュリオ・プレステスに反対する者によって結成された党、アリアンサ・リベラル(自由同盟)の色であり、は非業に倒れたジョン・ペッソーアの死に敬意を表したものです。

NEGO」という文字は、パライーバ州知事のジョン・ペッソーアが、ジュリオ・プレステスが大統領に就任することに関して、賛同を求められたことを「拒絶した」ことを意味します。