ブラジルの守護女王、聖母アパレシーダって何?

ポルトガル語で、ノッサ・セニョーラ(Nossa Senhora)という表現を良く目にします。直訳すると、「わたしたちの婦人」ですが、ぼくがブラジルに来たばかりのころは、「わたしたちの婦人とはなんぞや?」と謎に思っていたものです。

ノッサ・セニョーラ(Nossa Senhora)

ノッサ・セニョーラ(Nossa Senhora)は、セニョーラの後に「マリア」を加えると「私たちのマリア様」という意味になり、意味が通るようになります。もう少しこなれた表現にすると、「聖母マリア様」ということです。

セニョーラ・マリアと言わずに、単にセニョーラと呼ぶのは、イエス・キリストのことをセニョール(主)と呼ぶのと同じ意味です。(カトリック教会のみ。)「ノッサ・セニョーラ(Nossa Senhora)」は聖母マリアのことであると覚えておくと、観光の時などに便利です。

聖母アパレシーダの日

10月12日は、聖母アパレシーダの日(Dia de Nossa Senhora Aparecida)及び子供の日のため、ブラジルは全国的に祝日です。聖母と言えば、イエス・キリストの母であるマリアが頭に浮かびますが、アパレシーダさんという名前の別の聖母が居るわけでは無く、聖母マリアの呼称の一つとして「アパレシーダ」という愛称があるということです。

この、聖母アパレシーダというのは、カトリック諸国の中でもブラジルにしか存在しない独特なものです。

聖母アパレシーダの歴史

サンパウロ及びミナス・デ・オウロのカピタニア領主であったペドロ・デ・アルメイダが、ミナス・ジェライスのヴィラ・ヒッカへ出張した時にサンパウロ州のグアラチンゲタ市に立ち寄りました。(カタカナばかりでスミマセン…。)

グアラチンゲタ市では、領主を歓待するために宴を企画しました。食事の準備として、地元の漁師たちは、パライーバ川へ行って魚を獲ってくるように命じられました。しかし、その時期は魚の獲れない時期で、宴に十分な量の魚を確保することは非常に困難であると考えられたため、漁師たちは、聖母マリアに対して助けを求めるお祈りをしました。

漁師たちはパライーバ川の畔にあるイタグアスー港(Porto Itaguaçu)で何度か漁を試みたものの、全く成果はありませんでした。もう、諦めかけていた時、漁師のジョアン・アウベスが網を川に投げ入れると、魚の代わりに聖母マリアの像が網にかかりました。このマリア像には、頭が欠けていました。この事実に感動した漁師がもう一度網を投げると、今度は欠けていた頭が獲れました。その頭は、マリア像にぴったりはまりました。

その後、漁師たちが網を投げると、嘘のように大量の魚が獲れ、カヌーが重さで転覆しないか心配になるほどでした。感動で恍惚とした漁師たちが、グアラチンゲタ市に帰ると、大漁の成果を見て、町の人々も聖霊の働きがあったことを信じました。これが、聖母アパレシーダが起こした最初の奇蹟です。

ちなみに、アパレシーダというのは、動詞「アパレセー(aparecer)=姿を現す」の過去分詞「アパレシーダ(aparecida)」が形容詞的用法で使われているものです。名前の由来は、聖母マリア像がパライーバ川から「姿を現した」ことに由来します。

聖母マリア信仰

聖母マリア像は、漁師の一人、フィリッピ・ペドローゾの家で15年間保管されました。彼の友人や近所の人々は話しを聞きつけて彼の家を訪問し、マリア像を崇拝するようになりました。その後も、聖母マリアの周りで多くの奇蹟が起こり、その評判はブラジル中に伝わりました。マリア像を奉る祈りの場所が、イタグアスーに建設されましたが、その後も巡礼者は増え続け、収容しきれなくなってきました。

最初の礼拝堂とペドロ一世の訪問

1745年、グアラチンゲタ市の司祭は、マリア像を奉るための礼拝所をココヤシ丘の上に建設しました。ブラジル初代皇帝のドン・ペドロ一世も1822年4月20日に、この礼拝所を訪れ、奇跡を起こしたマリア像に敬意を表しました。(ちなみに、同年1822年9月7日にブラジルはポルトガルから独立しています。)

その後も巡礼者の数は増え続け、1834年にはより多くの巡礼者を収容できる教会の建設に着手しています。この教会は、現在では「古い大聖堂(Basílica Velha)」と呼ばれており、1888年に聖別されています。

王冠とマント

1888年、イザベル皇女(ペドロ二世の娘)が、大聖堂を2回目に訪れた際に、金、ルビー、ダイアモンドで作られた王冠と美しい青いマントを奉献しました。この王冠とマントを身に着けたイメージが、現在の聖母アパレシーダのイメージとして定着しました。
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グアラチンゲタ市の発展

グアラチンゲタ市の大聖堂がある周辺エリアは次第に栄えるようになってきたため、1928年、このエリアは北アパレシーダ市として独立しました。その後、名前を単純に「アパレシーダ」と改名しています。

サンパウロ中心地の北東にあるアパレシーダ市
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アパレシーダ市
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「ブラジルの守護女王」に任命

1930年、ローマ教皇ピウス11世は、聖母アパレシーダは「ブラジルの守護女王」であるとして布告しました。

新しい大聖堂

アパレシーダ現象とも呼ぶべき巡礼者の増加は、とどまることを知りませんでした。巡礼者からは、数多くの奇蹟や祝福の体験が報告されました。巡礼者の増加を受けて、1955年により大きな大聖堂の建設が開始されています。大聖堂は、高さ107メートルの塔を持ち、ドーム部分の高さが70メートル、建設面積は142,865m2、収容人数4万5千人という巨大な規模のものとなりました。

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出展:ウィキペディア(José Luiz

1980年に大聖堂が当時のローマ教皇、ヨハネ・パウロ二世によって聖別されたことを記念して10月12日が正式にアパレシーダ信仰の祝日として制定されています。

アパレシーダさん

聖母アパレシーダにあやかろうと、女の子に「アパレシーダ」という名前をつけることが1950~1960年代にかけて流行りました。ブラジルには、現在「アパレシーダ」という名前の人が304,024人居ます。(2010年IBGE統計)面白いことに、この名前を持つ女性は圧倒的にサンパウロに多いようです。

また、「アパレシーダ」に定冠詞を付けた「アアパレシーダ」と言う人も61人いました。定冠詞を付けたのは、差別化なのか、登記所の職員が間違えたのか定かではありませんが…。

男の子には、「アパレシード」と付けることが、同じく1950~1960年代に流行っており、その名を持つブラジル人は現在94,436人居ます。