大航海時代の重要な寄港地、アゾレス諸島

大航海時代において重要な役割を果たしたポルトガルの領土に、アゾレス諸島があります。ポルトガル語では、アーキペラゴ・ドス・アソーレス(Arquipélago dos Açores)と発音されることから、日本語でも「アソーレス諸島」と表記される場合があります。

アゾレス諸島は、リスボンの西1200kmほどの場所にあり、9つの島と複数の岩礁からなります。その歴史を調べると色々と面白いことが分かります。

アゾレス諸島の特徴

アゾレス諸島は火山活動の結果として形成されたもので、断崖絶壁の多い地形を有しています。冬でも平均気温が15℃程度と温暖でありヨーロッパからの保養地としての人気も高いです。

アゾレス諸島は大きく3つのグループ(南東群、中部群、北西群)に分類されます。

南東群

中心部のある南東群は以下の3つの島々から構成されています。

1.サンミゲル島

サンミゲル島はアゾレス諸島で最大の島で、アゾレス諸島の人口の半分以上がここに住んでいます。行政の中心地、ポンタ・デルガーダ(Ponta delgada)の空港には、リスボンから直行便が飛んでいます(所要時間約2時間半、往復1万5千円程度)。

サンミゲル島は、緑の平野と月桂樹の森林の景観に由来して「グリーンランド」というあだ名でも呼ばれています。

また、火山島なので各地に温泉が湧いており入浴することができます。

温泉

2.サンタマリア島

サンタマリア島は、南端にある島でアゾレス諸島の中で最初に発見された島です。陶芸、芸術、民芸品などで知られています。

3.フォルミガス島

フォルミガス島は、上記の2つの島の間に横たわる小さい島々の総称です。フォルミガス島には植物も生えていなければ動物も住んでいません。「フォルミガ」というのは、ポルトガル語で昆虫のアリのことです。

中部群

中部群は5つの島から構成されています。

1.テルセイラ島

テルセイラ島は、ポルトガル語で「第三の島」という意味があり、その名の通り三番目に発見された島です。最初は「イエス・キリスト島」と名付けられたのですが、その後現在の名前に変更されました。

テルセイラ島の南西部にはアゾレス諸島で最も古い町である「アングラ・ド・エロイズモ」があり、旧市街の町並みは1983年にユネスコの世界遺産に登録されています。

その名は「アンダーグラウンド・エロ」と聞こえてしまい、なんとなくエッチな語感のある名前ですがもちろん日本語のエロとは関係がありません。ポルトガル語で書くと“Angra do Heroísmo”となります。アングラは「」、エロイズモは「英雄的行為」という意味です。

テルセイラ島の南西部には湾(アングラ)があり、人々はここに入植して町を作りました。その町が発展し、やがてアゾレス諸島の行政府としての機能を持つようになりました。

1580年にスペインがポルトガルを併合した際に、スペインはポルトガル領であるアゾレス諸島も支配下に治めようとしました。スペイン人の侵入に対して、テルセイラ島の人々は武力を持って抵抗しました。このような英雄的な町の人々の功績をたたえて、1837年に町の名前が「アングラ・ド・エロイズモ」と呼ばれるようになったのです。

1980年の大地震で壊滅的な被害を受けましたが、その後再建が進められて3年後の1983年には旧市街の町並みが世界遺産に登録されました。面白いことに、アングラ・ド・エロイズモの湾の中央には「ブラジル山」と呼ばれる山があります。

ブラジル山

この町は、ポルトガルと新大陸アメリカを結ぶ経由地として発展しました。喜望峰を経由してインドに到達したヴァスコ・ダ・ガマも、インドから戻る際にこのテルセイラ島を経由しています。

2.ピコ島

ピコ島には、ピコ山と呼ばれる標高2,351mの風光明媚な火山があります。ピコというのは「尖がった先端」という意味であり、その名の通りピコ山の山頂は鋭く尖っています。雪が積もると富士山のようにも見えるピコ山はポルトガルで最も高い山です。

ピコ島にはワイン博物館やワイナリーがあり、エノツーリズモが盛んにおこなわれています。ピコ島のワイン産業は、ユネスコの世界遺産「ピコ島のブドウ畑文化の景観」として登録されています。ピコ島では、ブドウ畑の周りに溶岩石を積み上げて防風対策をし、未だに足で踏んでブドウ果汁を絞るという伝統を守っています。ピコ島のワインは、「ピコワイン(Vinho do Pico)」という名前で知られ、ロシア皇帝も飲んだと言われています。

3.グラシオーサ島

優雅な島」と名付けられたこの小さな島では、火山にできた硫黄洞窟(Furna do Enxofre)を訪れることができます。また、ワイナリーも重要な産業のひとつです。

4.サンジョルジェ島

サンジョルジェ島はピコ島の北に浮かぶ細長い島で人口1万人ほどの島です。

5.ファイアル島

ファイアル島は初夏にアジサイの花が咲き乱れることから、別名「ブルーアイランド」とも呼ばれています。主な産業は農業です。

北西群

北西群はフロレスとコルヴォの2つの島から構成されています。

アゾレス諸島の名前の由来

アゾレス諸島という名前は英語読みの発音であり、ポルトガル語発音では「アソーレス」と呼ぶのが正解です。アソーレスというは、アソー(Açor)の複数形で、アソーは日本にも生息しているタカ科の鳥「ハイタカ」のことです。アゾレス諸島の発見時に、このアソーが沢山いたというのが名前の由来と言われていますが、アゾレス諸島には今も昔もアソーが生息していたことはなく、タカ科のヨーロッパノスリと間違えたのだとする説もあります。

他にもアゾレス諸島を遠くから見ると青く見えたことに由来しているとする説もあります。ポルトガル語で青はアズウ(Azur)と言います。

アゾレス諸島の発見

1431年、エンリケ航海王子の命令により、ゴンサーロ・ヴェーリョ・カブラル(Goncalo Velho Cabral)は、カタルーニャの地図でポルトガルの西方に記載されていた島を探すため航海に出ました。最初の航海では火山の岩礁でできたフォルミガス島を見つけましたが、他に島らしきものは見えなかったので、カブラルはポルトガルに引き返しました。エンリケ航海王子から再調査を命じられ、カブラルが1432年に再び航海に出たところ、今度はサンタマリア島を発見しました。発見した8月15日は、カトリック教会では聖母マリアの記念日であったことから、サンタマリア島と名付けられました。マデイラ諸島が発見(1418年)されてから14年後のことでした。

東から西にかけて順番に島が発見され、サンタマリア島が発見された年から20年経った1452年には北西のコルヴォ島とフロレス島が発見され、アゾレス諸島の全貌が明らかになりました。

アゾレス諸島の植民

アゾレス諸島は無人島でした。本国から1,000km以上も離れたこの無人島への移住を希望する人は居ませんでしたが、島の発見者であるカブラルがなんとか説得して、1433年にサンタマリア島に小さなコミュニティを作りました。

まず、土地が開墾され、穀物、ブドウ、サトウキビ等の種がまかれました。また、牛や豚、羊などの家畜も持ち込まれ、牧畜が営まれました。当初は、ポルトガル最北部のミーニョ地方の人々が、次にポルトガル南部のアルガルヴェ、アレンテージョ地方の人々が移住しました。その一世紀後には、フランドル地方(ベルギー西部、オランダ南西部、フランス北部の地方)の人々が移住しています。移住にはクリスチャンであることが条件とされていました。

カピタニア制の導入

エンリケ航海王子は、マデイラ諸島と同様にアゾレス諸島でもカピタニア制を採用しました。カピタニア制とは、カピタンと呼ばれる領主に未開の土地を分け与え、自力で開墾、防衛をする代わりに土地の使用権と統治権を与えるという領地開発制度のことです。このカピタンは世襲制なので、開発した領土は子孫に相続することができました。エンリケ航海王子とカピタンは、それぞれ土地の開発による収入の10%を受け取る権利がありました。後に、ブラジルにも同様の制度が持ち込まれます。

エンリケ航海王子は、発見者のカブラルをサンタマリア島とサンミゲル島のカピタン(領主)に指定し、他の島々にもそれぞれカピタンを決めました。

アゾレス海流とアゾレス諸島


アゾレス諸島の付近を時計回りに流れる穏やかな海流のことを「アゾレス海流(Azores Current)」と呼びます。ポルトガルが海洋大国になりえた要因として、この「アゾレス海流」の存在があります。ポルトガル帆船はアゾレス海流に乗ってカリブ海域に出、アメリカ大陸まで航海したのです。コロンブスが新大陸を「発見」したのも、このアゾレス海流に乗った航海でした。

新大陸からヨーロッパに戻ってくる船は、アゾレス海流に乗ってアゾレス諸島を経由しました。このように、アゾレス諸島は海の要衝にあったことから帆船への供給地点として重要な役割を果たしてきました。ホルタ港、アングラ港、ポンタ・デルガーダ港は各国から来た船が停泊していました。

日本からは大分遠いですが、一度訪れて大航海時代に思いを馳せてみたいです。